2009年11月 8日 (日)

私の好きな曲④『夜明けのうた』

岸洋子さんが歌い、東京オリンピックの年(昭和39年、1964年)にヒットした曲です。

作詞は、岩谷時子さん。作曲はいずみたくさんです。

私自身、この歌は、もともと好きだったのですが、ある映像を見てから、病みつきになりました。それは鮫島有美子さんの歌う『夜明けのうた』です。これは絶品であり、芸術の極致と申しても過言ではございません。

以来、私は鮫島有美子さんの大ファンとなり、始終彼女の歌をYOUTUBEで聞いております。

鮫島有美子さんは、いろいろなジャンルの歌を歌っていますが、東京芸大の大学院を卒業したソプラノ歌手であり、オペラ歌手としても有名な方です。この方は、積極的に日本の歌を歌っていて、その中には歌謡曲も含まれます。

歌謡曲の中でも、特にこの『夜明けのうた』は、鮫島有美子さんという個性にピッタリ。猫にまたたび、チンパンジーにバナナという気がいたします(変な譬えで申し訳ありません)。ただただ、感嘆の念・・・あるいは畏怖の念・・・そして・・・究極の声楽美を感じます。

もはや余計な言葉は要らないでしょう。あとは死ぬほど感動するだけです・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=nFHe1g0SZvI&feature=related

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年11月 2日 (月)

私の好きな曲③『見上げてごらん夜の星を』

日本人に最も愛されている曲の一つと言えます。実際、1963年に発表されて以来、多くの歌手が歌っております。

この歌には強烈なエピソードがあります。

最初この歌は、ある劇中歌として歌われたと聞いております。初めて、この曲を聴いたとき、観客たちは、劇が終わったにもかかわらず、誰一人席を立つ者がいなかったということです。まさに、これが本当の芸術の要件。それがゆえに、戦後生まれた歌の中で最もすばらしい曲のひとつと申せましょう。

1963年と言えば、私の丁度10歳の時の曲ですね。作詞は永六輔、作曲はいずみたく・・・。作曲は、ときどき作曲中村八大・・・と間違える方がいますので。注意が必要です。どちらも、偉大な作曲家ですね。

この曲は、夭逝した偉大な歌手・本田美奈子さんも歌っております。本田さんのYOUTUBEの映像では、最後に、美しい星空が現れます。

http://www.youtube.com/watch?v=6XTBaQX-WiI&feature=related

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月26日 (月)

私の好きな曲②『野イチゴ』

1973年、私は20歳でした。そのころ、私は東京大森のマンション建築現場で、アルバイトをしておりました。

警備員の仕事だったのですが、この仕事は、簡単にいえば「受付係」のような仕事でした。つまり現場に入ってくる人々や車両をチェックし、それをメモし、また現場の案内をするのでした。またダンプや大型トラックなどが入ってきた場合は、交通誘導もしました。

現場には多くの人が出入りしていました。ですが、仕事自体は楽であり、ラジオを聴きながらすることが許される内容のものでした。

このアルバイトは半年ほどしました。その間、私は毎日多くの歌を聴いていました。当時のラジオ」と言いますのは、今はどうかわかりませんが、一日中、「名曲コーナー」とか「今日のヒットチャート」などをやっておりました。

このころ、よく流れていたのが、井上陽水の『心もよう』でした。「面白い歌だな」と思いつつ、また「ずいぶん高い声が出るな」という印象でした。

その後、陽水のレコードをいろいろと買いました。その中で、「うん、これはすごいぞ」と思ったのが、『野イチゴ」という曲でした。

この曲の素晴らしさに感動し、その後も陽水のレコードを買い求めました。

この曲を聴くと、一人で、対馬諸島へヒッチハイクした時のことを思い出します。野イチゴがたくさんなっていました。私は一人テントの中で、それを食べていました。自由な日々でした。まさに青春でしたね・・・・

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=Dqdwo26qKuc

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月15日 (木)

私の好きな曲①『銀河のロマンス』

私の好きな曲を、気ままに書いてみたいと思います。

紙芝居作家だった加太こうじさんは、大切なことを言っていました。「15才ころに流行っていた歌が、その人の生涯の愛唱歌になる」・・・・私の場合は、これがズバリ当てはまります。

私の15歳ころ(1968年ころ)と言えば・・・グループサウンズが大流行。彼らは、しっかりと若い女性のハートを掴んでおりました。とりわけ、タイガースは、最も人気がありましたね。

私は男ですので、ファンではなかったのですが、彼らの歌は好きでした。今でもいろいろな歌を覚えています。そのほとんどは、作曲が「すぎやまこういち」さんで、作詞家が「橋本淳」さんだったはずです。

私の大好きな『銀河のロマンス』もお二人の曲。この歌を聞くと、当時の「あまり幸福ではなかった」日々を思い出します。

当時、私は高校で寮生活をしておりましたが、いわゆる学生運動が盛んで、かなり荒れた高校生活でした。また、極端な朝型人間の私は、消灯11時という生活にも、あまりなじめなかった思い出があります。いつも、眠かった思い出があるのです。

そんな高校生活の中、すばらしい流行歌がたくさんありました。それらは今後紹介させていただくかもしれませんが・・・・その中の一つが、『銀河のロマンス』でした。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=MoBfT4_uHQ0

この映像を見ると、昔の自分の心象風景に戻ると同時に、沢田研二さんが、あまりに若いので、変な気持ちになります。当時見ていた沢田さんは、私よりずっと年上だったんです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月 7日 (水)

テレビ今昔物語38(最終回)

皆様・・・赤ちゃんが生まれるのは妊娠何週目かご存知ですか?

実は平均、38週目です。

今回が38回目ということで、それにちなんで、このシリーズも今回を最終回にしたいと思います。

私は昭和28年生まれ。丁度テレビ放送開始の年です。私の年齢とテレビの年齢は同じなのです。子供の頃、私の家にはテレビはありませんでした。テレビが我が家に来たのが、小学校3年生の時。

以来・・・いや、その前からも、お金持ちの家でテレビを見ていましたが・・・ずっとテレビは私が友でした。

テレビという巨大マスメディアからは、多くのものを吸収させていただきました。

でも・・・いつも、心のどこかスキマ風を感じていました。その理由は・・・やはり、「テレビ様」は王様であり、私たちは下々の者・・・という「上から目線の一歩通行」から来る疎外感は常にあったということです。そう。テレビが番組を作る過程・・・そしてテレビ関係者が何を言っても、私たちはほぼ無抵抗なのです。強いて言えば、テレビを消して視聴率を下げるくらいが抵抗ですが、でもそれは、あまりに小さな抵抗と言えるでしょう。

『受身の快楽』という言葉があります。そうなのです。テレビを見る快楽はいつも受身なのでした。

1980年代・・・その受身を、すこしだけ変えてくれたものが登場しました。ビデオです。ビデオは好きな時間に番組を、好きな時間に見る自由を与えてくれました・・・しかし、それでも、まだ私たちの心にはスキマ風が吹きつづけました。依然としてテレビを作っているのは、テレビ関係者なのです。

私の場合、そんなスキマ風に耐え切れなくなり、40代の一時期、テレビをほとんど全く見ないということを、自分に課しました。そのとき思ったのは、「別にテレビを見なくても生きてゆける」ということでした。

スキマ風をなくす方法・・・そう。通信の理想は、やはり「双方向性」ですね。それは誰も否定できない真理でしょう。

現在、私たちは、いろいろな通信手段によって、理想的な「双方向性」の快楽を得ることができるようになりました。インターネット、電子メール、携帯、ファックスなどなど・・・

これらの利用者全員が、その快楽を最大限に感じ取っていることでしょう。

かくして・・・子供の頃は巨大な怪物で、通信快楽の80%くらいを占めていたテレビは、今や、私たちの心の中では、30%くらいの占有率になってしまったのではないでしょうか?

しかし、依然として、テレビはオピニオンリーダーなのであり、最大の情報発信基地です。また流行の最先端にも位置しています。

・・・そんな時代の最中・・・あるいは過渡期にいる私にとって、今回じっくりとテレビの今昔を振り返ってみたことは有意義なものでした。

長い間、読んでいただき、ありがとうございました。

地デジ時代を迎えると、テレビも必ずや「双方向性」に進んでいくことでしょう。そのとき、良き再生をして欲しいものだと、心より思っております。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年9月24日 (木)

テレビ今昔物語37

ところで、テレビの将来はどんなものなのでしょうか?・・・このシリーズを終えるにあたり、これについて、きちんと考えてみたいと思います。

5年ほど前の2004年ごろ、ライブドア社長の堀江貴文さんが、「テレビ主導の時代は、もうすぐ終わる。これからはインターネットが主役の時代だ」とおっしゃっておりました。これに対して、フジテレビトップの日枝久さんが、「そんなことはない」と強く反発なさっておられました。どちらが正しかったのでしょうか?

私は「どちらも正しかった」と思います。

なぜなら、あれから5年が経ちましたが、その間、テレビの衰退は、着実に進んでいます。他方、インターネットによるSNSやYOUTUBEや2ちゃんねるなど、動画や意見交換、意見発表、各種交流などの場は、めざましく発展しています。しかし、かと言いましても、テレビの影響力は、まだ依然として相当強いものがあります。

インターネットのいいところは、「双方向性」です。自分の意見を発表し、他人からコメントをもらい、また、そのコメントにリコメすることができます。このようなことは、従来のテレビにはなかったものです。テレビ局と言えば、視聴者からの「怒りの電話」に対し、生返事?のテレビ局職員が対応するばかりで、何の進展もありませんでした。

私自身もSNSに参加し、YOUTUBEを初めとする動画もよく見ますが、やはりテレビでは味わえなかった充実感を感じております。

具体的な感想を申しますと、インターネットでは「主体的参加」ができるのです。この主体的参加ができると、楽しいばかりでなく、自分の魂も成長しているような喜びも味わうことができます。

ところで2011年に始まるテレビの地上デジタル放送・・・これでは、「双方向性」が取り入れられるそうです。しかし、テレビの限界は、やはり明らかでしょう。

ホリエモンさんの予言=「すぐにインターネット主役の時代が来る!」・・・これは、案外正しかったと言えるでしょう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年9月11日 (金)

テレビ今昔物語36

アメリカのテレビが、SITCOMというコメディだらけ・・・という理由は、アメリカ人がユーモア好きだからです。また多民族国家なので、ユーモアを通じて、融和をはかるという意味もあるでしょう。

ただ、英語という言語そのものにも理由があるように思います。どういうことかと申しますと、英語は異常に「同じ意味の言葉が多い」という特徴があります。

これは本当に異常なのであって、私はかつて、これを真面目に調べてみました。

すると、たとえば「バカ」という言葉は辞書に載っているだけで、250ありました。「気違い」なども多く、150はあるでしょう。「騙す」は100ありました。「お尻」だけでも「15くらい」ありました。「尻ませんでした」などというダシャレを言っている場合ではありません。

しかも辞書に載っているものばかりではありません。それ以外にも、アメリカ人は、自分でシャレた言葉をどんどん作ります。その結果、もう会話自体が、とても面白くなるのです。スピーディな会話=アメリカ文化ってわけですね。

論文などでも、一度使った単語は、使わない傾向があります。ですから、英語のわかる方は、「英語を読むと脳が活性化されるような感じがする」・・・と言います。

話は全然変わりますが、かつてグループサウンズの草分けブルーコメッツが、アメリカのエド・サリヴァンショーに出演しました。「日本のビートルズ」として、紹介されました。歌った曲は、もちろん「ブルーシャトー」。英語で歌ったのですが、少なからぬアメリカ人からは、「なんだこりゃ?」と、ある種嫌悪感をもって評価された・・・と聞いたことがあります(これを話したのは、メンバーの井上大輔さんです)・・・・私は「・・だろうな」と思いました。なぜならブルーシャトーの最後は、「ブルー、ブルー、ブルー、ブルー、ブルー、ブルー・・・シャートー」と6回も「ブルー」を繰り返すのです。アメリカ人は、繰り返しが大嫌いな民族。つまりアメリカ人が、この「変な歌?」および「変な歌を歌うグループ」に対して、奇異の目を向けたことは想像に難くありません(実に残念なことですが・・・)。要するに日米の言語文化が違っていたということなのでしょう。

ただし、作詞家の橋本淳さんは、日本人向けに書いたわけです。当然、責めることはできません。ちなみに橋本淳さんはタイガースの作詞を手がけています。当時の最大の売れっ子作詞家でした。今でも私は「作詞自体に関しては、実に素晴らしい作詞家だった」と思っております。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 3日 (木)

テレビ今昔物語35

アメリカのテレビやラジオの視聴者参加番組は、参加者をファーストネームで呼ぶことが完全に根付いています。

いつからそうなったのか?・・・これについては、存じ上げませんが、もうどんな人であろうと、ファーストネームなので、とても小気味いいですね。

年老いた大学教授だって、警察官だって、一般人として討論に参加する限りは、皆ファーストネームなので、フランクな感じがして、会話も弾むのです。ただし、コメンテーターとか専門家として参加するときは、「ミスター」とか「ドクター」と呼ばれることもありますが、これは例外です。

さて、以下の話は、エッセーなどでも書いたのですが・・・・

一度『オプラ・ウィンフリーのトークショー』で、刑務所から囚人が討論に参加するというのがありました。この囚人はレイプ犯で、18年の刑を受けたのです。ところが、彼は堂々とカメラの前で、顔を出して「18年は重過ぎる」と(刑務所の一室で)主張するのでした。ゲストには、警察署長と検察官が来ていました。そして、この二人は、司会者と一般参加者からジョージとかエディとファーストネームで呼ばれていました。「ジョージ、それは違うよ!」とか「エディ、一般的にはどうなの?」とか・・・また、レイプ犯のお母さんも討論に参加。彼女は「自分の息子の罰は重すぎる」と言っていました。

このような番組は、今の日本では到底、考えられません。言うまでもなく、警察署長や検察官をファーストネームで呼ぶことはありません。刑務所からテレビ中継することもないです。また犯人が囚人服を着て、顔を出して、「刑罰は重すぎる]ということもありえないでしょう。

・・・私は母親の主張を聞きながら、一瞬、夢の中にいるように感じました。

あまりに、日本と違うのです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年8月29日 (土)

テレビ今昔物語34

くりかえしますが、アメリカのテレビ番組は、ラジオ番組もそうですが、「トークショー」形式が、とても多いです。これは、視聴者が直接参加するもので、日本にはあまりない方法です。しかし、将来、日本でも絶対にさかんになると思いますので、以下、詳しく述べさせていただきたいと思います。

テレビでは、スタジオに集まった一般市民が討論に参加します。ラジオでは、自宅やオフィスにいる一般市民が電話で参加します。

討論に参加するためには、まず知識が必要なので、最初の何十分の間は専門家や司会者が、「今日の議題の説明」をします。その後、司会者の合図で、市民が直接意見を述べる時間になります。

ただし、アメリカにはあまりに多くの市民がいます。ですから、司会者がうまく取り仕切らないと、収拾が取れません。そこで、ラジオなどは、司会者が「もうこの人の意見は聞きたくない」と思えば、どんどん打ち切ってしまいます。これは身の上相談などもそうで、有名な「ローラ・シュレジンガー女史」の身の上相談は、(詳しい時間を計ってはいませんが)3分くらいで、どんどん相談者が変わっているように感じられます。つまり、日本のように、30分の放送時間に1人とか2人ではなく、また、情とかそういうものを考慮して、根掘り葉掘り聞く・・・というのではなく、司会の回答者は肝心な点だけ聞き出すと、あとは自分の意見をパッパと述べて、それで終わりです。

そして面白いのは、相談者および参加者は全員、「ファーストネーム」で呼ばれるということです。これは面白いので、次回に詳しく述べさせていただきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月23日 (日)

テレビ今昔物語33

アメリカのテレビ番組は,日本と違う大きな特徴が二つあります。

一つはSITCOMが多いことです。SITCOMはSituation Comedyの略で、日本で言えば、昔NHKでやっていた『お笑いオンステージ』とか『お江戸でござる』のような番組です。これが異常に多くて、毎日のように、三大ネットワークのどこかでやっています。日本にも輸入されていて、『ルーシーショー』とか『コスビーショー』とか『ファミリータイズ』などを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。

もう一つは「トークショー」が多いことです。「トークショー」と言っても、『徹子の部屋』や『スター千一夜』のようなものではありません。スタジオに市民が集まって、市民がトークするのです。これも毎日のようにやっています。司会者で一番有名なのが、オプラ・ウィンフリーという黒人女性です。この人は年収、200億円と聞いています。アメリカで最も有名な人であり、誰でも知っています。

このトークショーを見ていると、アメリカ社会と日本社会の違いがはっきりわかります。

それは、アメリカは『議論をする国だ』ということです。訴訟なども異常に多くて、何でも裁判に持ち込みます。

有名な訴訟話の中には・・・・・「マクドナルドのコーヒーが熱すぎて、膝にこぼして火傷したお婆さん(79歳)が、2億9000万円の賠償金をもらった」・・・という信じられない話があります。

この話は、訴訟社会アメリカを象徴する話ですので、次回にもう少し詳しく述べてみましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«テレビ今昔物語32