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2009年1月

2009年1月31日 (土)

すばらしかった店員さん

さきほど、スーパーに買い物に行きました。

1000円ほど買い物とをして、レジに向かったのですが、少し混んでいました。すると、一人の女性店員さんが現れました。で、「こちらへどうぞ!」と、使用していないレジへと私を誘いました。私は『これ幸い』とばかり、私はそちらに向かったのですが、私は驚きました。その女性店員さんは、背が高く痩せた27,8歳に見える方でしたが、何ともいやはや、客への対応があまりにすばらしいのです。言葉遣い、態度しぐさ、そして最後におつりを渡すときの対応・・・・あまりに完璧でしたので、私はとても気持ち良くなって、「あなたは、私が経験した中で、最高のレジ係りさんです」と言おうと思いました。ちなみに普段の私は平気でそういうことを言う男です。でもお顔がはっきり確認できませんでしたので、結局何も言わずに、ただただ感心して、その場を立ち去り、レジ袋に品物を詰めておりました。

すると警備の方(男性60歳くらい)が、近寄ってきました。私はいい機会だと思い、その人に言いました。「あの店員さんは、すごく感じのいい人ですね!」、こう言いながら、さきほどのレジの女性店員を指差しました。レジの女店員は、客の対応に忙しく、私の言うことには全然気づいていません。

すると警備の方は「4番レジの人?」と確認してから、すぐに「あの人は店長ですよ!」と応えました・・・「ええ?店長ですか?」・・・私は、素っ頓狂な声を上げました。そして、あまりに若い店長を、もう一度じっと見やりました。相変わらず彼女はテキパキと客の対応をこなしておりました。

家に戻ってから、私はぜひ彼女のことを書きたくなりました。実は今日の分は、すでに書いてあったのです。しかし、それを削除し、今私はこれを書いております。

そうなのです。それほどすばらしい接客態度だったということでございます。

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2009年1月30日 (金)

クローン人間

昨日(2009年1月29日)の日経新聞夕刊によると・・・・アメリカでクローン犬が売買されたということです。

飼い主は、亡くなった愛犬のクローン犬を1350万で依頼しました。そして、このたび、やっと受け渡されたのだとか。

クローン人間はもちろん論外です。しかし私はクローン犬も反対です。そりゃ、外見は似ているでしょうが、生物の性格は環境によっても変わりますから、クローン犬を作ることには、それほど意味はないと思います。また、クローン生物は、弱い体質を持っているとも言われてきました・・・でも、そういう議論の以前に、愚かな人間の手で、生物の神秘に関わるのは、間違っていると思います。

愛犬の死は悲しい?・・・そりゃそうでしょうが、もし生物が死ななかったら、地球は生物だらけで滅びるでしょう。死を淡々と受け止めることこそが、宇宙の法則であり、まともな大人の人間のすることだと思います。

ついでに申せば、私は古代中世日本文学のメインテーマである「無常観」というのは、好きではありません。だって、「無常(=すべては変化する)」こそが、宇宙の法則なのであり、『過去は過去』と割り切らないと、私は不幸になるばかりです。『過去が愛しい?』・・・甘ったれるな・・・と、ときどき申し上げたくなります。

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2009年1月29日 (木)

サニーと私の正しい関係

正確には、サニーは会社(の人)の犬です。私が住んでいる場所は会社の事務所で、私の地位はわかりやすく言えば、嘱託社員。そしてサニーもここに住んでおります。となると、私とのふれあいが多くなります。ですから毎日、食事の一部を上げたり、散歩に連れて行ったりしております。今では、私が実質的な「ご主人様」と申してよろしいかと思います。

パソコンを覚えたての頃、面白半分でサニーの新聞を作ってみました。最初は印刷しておりました。すると、「これは面白い!」と言う人が結構の数おりましたので、結局2年半以上、毎月欠かさず作ることになりました。今回が29号で、号外が1号ありますから、今まで30号発行しております。

一ケ月に一回作るのですが、一ヶ月あれば、結構いろいろな事件が起こるもの。それらを写真とともに掲載し、また犬を飼う上の苦労話や注意事項なども付け加え、読者の方々に、「変な犬の生態」を面白く知っていただければ幸いと思っております。

ところでパソコンのサニーのHP「サニーズコーナー」ですが、これは一昨年(2007年)の夏ごろ作り始めました。以来、少しずつ手直しを繰り返し、今日に至っております。

サニーは錦糸町駅で拾った捨て犬でした。会社の人の知人の男性が、生後約3ヶ月の子犬のサニーを拾って帰ってきたのです。人間に救われたという体験のせいか、サニーはまれに見る人間好き。また愛敬もとてもいいので、皆に好かれております。私は「癒し犬」と呼んでおります。しかし私にはサニーの所有権がありませんから、将来サニーと別れることも考えられます。でも、そんな場合でも、ときどきはサニーと会いたいと思っております。幸い、サニーは私のことが大好きなようです。私が5分いなくなっても、戻ってくると飛び上がって歓迎してくれます。

でも会社の人も、私と同じくらいサニーを愛していますから、私がいなくなっても大丈夫です。心配は全くしておりません。

サニーは私が夏など床に寝転がっていますと、盛んに私の顔を舐めます。鼻の穴や耳の穴まで舐めることがあります。あまりに一生懸命になめるので、出来の悪い子犬でも舐めているように感じられることがございます。

サニー新聞最新号ができました。

http://www5.ocn.ne.jp/~gobest/07.html

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2009年1月28日 (水)

突然消える女性芸能人

現在東京地方のテレビ朝日系列では、朝の10時半ころから『暴れん坊将軍』を再放送しおります。

その中にご出演のお姫様役の中村あずささん・・・・聞くところによりますと、結婚なされたということです。そして芸能界を突然引退されたとか・・・しかも、視聴者に一言の挨拶もなく?(笑)・・・同様なことは、珍しいことではございません。ゆうゆさんという有名な女性タレントも、いつしか突然結婚引退・・・・これも視聴者に一言の挨拶もなかったようでございます(笑)。

でも、考えてみますと、「視聴者に挨拶する方法」もとても難しいですね。テレビに出るということは、大変お金が掛かることでございます。ですから、わざわざ時間をさいて「この度、夫が二足のわらじを嫌がるものですから、芸能界を引退します。視聴者の皆様、長い間、応援ありがとうございました」などと挨拶をするのだって、テレビ局から見たら、かなりの出費になります。つまり、それは無理と言うことなんでしょう。それに、ひょっとして、また復帰するかも知れませんしね・・・

でも、やはりとても寂しいですね。あれほどお茶の間に笑顔を振りまいていた芸能人。その方たちが突然オバケのように消え去るのは・・・・視聴者の中には、強くこう思う人は多いでしょう。「俺はずっと君を応援してたんだ!君の写真を壁に貼って毎日見てたんだ!マジでずっとファンだったんだ!だから一言、俺たちに別れの挨拶してくれてもいいじゃないか。3分でいいからさ!ね!」。

引退する女性芸能人の方々は、本当に幸福なのでしょうか?・・・何万人という人たちから選ばれてなった芸能人・・・役者とか歌などに生きがいを感じもしておられたでしょう・・・そのお気持ちを思うと、結婚と両立できなかったのかなと思います。

でも女性には、出産育児と言う芸能人以上に大切な仕事もございます。ぜひそちらの方で頑張って欲しいものでございます。だって女性は、いい意味の変わり身が得意でございますからね。女性は、昨日と今日のお衣装や髪型を完全に変えることが出来ます。正直申しまして、たまに、うらやましいと思うときもございます。

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2009年1月27日 (火)

友人の激しい嘔吐

高校生のときでした。保健体育の先生が椎間板ヘルニアの手術を受けられました。

この先生は手術の前に思いました。『手術を8ミリに撮っておこう。自分は保健体育を教えているから、あとでいい教材にもなるだろう』

かくして後日、私たち生徒は、この先生の椎間板ヘルニアの手術の実写を、見ることになりました。もちろんボカシなどは一切なし。教室は暗幕が張られていますから、設定も万全・・・映写が始まりました。画面の中では、医師が背中の皮膚を切ったり、血みどろの椎間板を取り出したりしています。高校生の私は『ちょっと、おぞましいな』と思いました。しばらくして、生徒の一人が激しく吐き始めました。それに気づいた保健体育の先生は、急いで生徒を教室の外に出しました。そのときは誰だかわかりませんでした。ですが、あとで友人の一人だとわかりました。友人は真っ青な顔をしておりました。彼はおしなしい性格で、下の名前を「紳○」と言いました。私は思いました。「心の優しい紳士には、こういう映像は無理だったのか」。

時代は変わりました。今はYOUTUBEで外科手術を存分に見ることが出来ます。「動画、手術」と入力すれば、出てきます。帝王切開・・・壊疽の脚の切断・・・

でも皆様!できれば、外科手術を受けることのないように、日々の健康に気をつけたいものでございますね。糖尿病にはなりませんように!お怪我もしませんように!飲酒運転は絶対にダメですよ!

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2009年1月25日 (日)

どうにかならないか?高知白バイ事件!

ご存知の方も多いと思いますが、2006年3月3日に高知県高知市で発生した「バスと白バイの衝突事故」。これは裁判の過程に大きな疑念があります。いやむしろ、これはズバリ冤罪事件と申してよろしいでしょう。

事件は、白バイが右折をしようとしていたスクールバスと衝突。白バイを運転していたのは県警交通機動隊の26歳の巡査長。この人が事故死したというものです。

裁判では、まず高知地方裁判所片多康裁判官がバス運転手の罪を認め、禁錮1年4月の判決。その後、被告は上告。しかし高松高等裁判所柴田秀樹裁判長が地裁で十分な審議がなされたとして控訴棄却。被告は最高裁に上告します。しかし最高裁第二小法廷今井功裁判長が上告棄却し、禁錮1年4月の判決が確定しました。

でもバスに乗っていた証人のほとんどは、運転手に何の過失もなかったと証言しております。しかも検察側の「ブレーキタイヤ痕」の主張も、実験の結果、誰かが作為的に付けた可能性が大きいのです。とすれば有罪の根拠は全くなくなり、無実しか残されていません。

となると、もうこれは裁判をやり直すべきであります。

この事件に興味のある方は、ネットなどを見て欲しいのですが、鹿児島の選挙違反事件のデッチ上げと言い、警察権力は、時々油断のならないことをします。もっとも、警察自体が必要なのは言うまでもなく、一部の人が腐っていると言うべきでしょう。

ただ、こういう事件を通じて、私たち一人ひとりは、国を良くしようとする日本国民としての自覚を高め、いわゆる「見て見ぬ振り」だけはしないようにしたいものです。明日は我が身かもしれませんから。

2008年10月23日元バス運転手は高知刑務所に収監されました。

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2009年1月24日 (土)

ピロリ菌は悪者?味方?

最近の医学研究により、ピロリ菌(ヘリコバクター・ビロリ菌)が胃潰瘍の原因の一部であることがわかりました。これは由々しきことであり、ピロリ菌を排除せよ、ということになりました。

ところが、さらなる研究により、ピロリ菌は食道炎を防止する正義の味方であることがわかりました。

こうなると、ピロリ菌は悪者なのか味方なのか、わからなくなります。

そう言えば、あのサリドマイドなども、一時は極悪者でしたが、今は正義の味方にもなりつつあります。

たとえば・・・

ハンセン病の鎮痛剤・・・癌細胞の抑制および癌の鎮痛剤・・・・・・などとして効果があるとされております。

そしてついに、かつての極悪者サリドマイドは、日本でも再度、薬として承認されたのでした!

人間も、ひとつの狭い視野だけで判断しないようにしたいものでございます。

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2009年1月23日 (金)

乗り切りましょう!

昨日朝、空を見上げるとどんより曇っていました。ポツポツ雨も降っているようです。「また、雨か。洗濯物もたまっているのになあ・・・」などと思うと、すぐに憂鬱な気持ちになりました。ここのところ東京地方は、ずっと晴れていないのです。

でも、心とは便利なもの。私はすぐに考えを変えることにしました。「雨だと、余計な外出をして、お金を使うこともないよな。それに雨が降らないと、野菜や果物もできないんだし」。

このギアチェンジのおかげか、仕事も順調、一日楽しく過ごすことができました。

どうやら今日も雨または曇りのようです(今は朝の5時10分)。

ま、そのうち晴れることでしょう!

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2009年1月22日 (木)

予想はつきません!

二年前の2007年に戻ってみます。そこで誰かが「二年後のアメリカの大統領は黒人だ」と言ったとしましょう。その人は大笑いされ、ひょっとして精神病者扱いされたかもしれません。

1889年に戻ってみます。そのとき誰かが「二年後、ソ連はなくなっているだろう」と言ったとします。その人は大笑いされ、評論家なら失格者の烙印を押されたことでしょう。

日本の政治だって同様です。1992年に「二年後、自民党と社会党が手を組んで、社会党の首相が誕生するだろう」なんて思うことは、100%絶対にありえないことだったのでございます。

つまり、歴史と言いますのは、しばしば「ありえない」または「絶対的にありえない」ことが起きているのでございまして、これを地ならしして、もっともらしく「あたかも、ありえたように説明する」のが歴史学者たちの仕事なのです。

これは芸能界やスポーツ界でもそうでございまして、昨年(2008)にご活躍なされたエドはるみさんとか世界のナベアツさんの登場などは、誰も予想できなかったことです。「おバカさんブーム」なども、まともな思考回路を持ってしては、絶対にありえないことですね。その他、競馬界の三浦皇成騎手や将棋界の里見香奈さんなどについても同じことが申せましょう。

若い人の中には、未来を悲観して自殺なさる方々も大勢いらっしゃいます。中年の方にも、鬱病の方が相当いらっしゃいます。また日本には、160万人のひきこもりの方たちもいらっしゃいます・・・こういう方のかなりの部分が、「未来を決めてかかっている」のではないでしょうか?「自分の人生には未来がない」とか。「自分の人生はもう終わった」とか。でもそれは大いなる間違いです。未来というものはわかりません。絶対にわかりません。

それにしましても、半年前に、日本の首相が「詳細」を読めず、そのことに対して、いささかも悪びれもしないと誰が予想したでしょうか?逆に申せば、麻生さんは想像以上に大物かもしれません。もしそうであるならば、麻生さんには日々、粉骨砕身頑張ってほしいものでございます。漢字云々よりも、政策の方がずっと大切なんですから。

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2009年1月21日 (水)

年齢詐称?・・・ま、どうでもいいでしょ!

タレントのはるな愛さんが4歳サバ読んでいたとか。よくあることですね。だから私などは全然驚きません。ただ4歳と言えば、沢田亜矢子さんとか磯野貴理さんとかも同じ仲間だったかな・・・というくらいでしょう。これらの方たちは、詐称右派・・・と呼ぶべきでしょうか?

1歳や2歳程度なら、山ほどいるのでしょう。芸能界とはそういうところです。だから昔の同級生と出会う番組なんかでは、すごく気を使うそうです。いや、そもそも年齢を気にしすぎるところが、日本人と韓国人のちょっと異常なところかもしれませんね。だって、素敵な人間には、年齢は関係ございませんから(沢田亜矢子さんや磯野貴理さんも実力派なので、年齢はあまり関係ないでございましょう)。いや、むしろ「赤ちゃんのように純真な心をもった人間が天国に行ける」などと聖書にも書いてありますからね。

バラク・オバマ47歳!・・・・若いからこそ、世界を変えられるんです!今日はオバマ大統領の就任式!ぜひ頑張って欲しいものですね。私も応援させていただきます!

それにしても、はるな愛さんの事務所のコメントは面白いですね。「本名の大西賢示は36歳だけど、はるな愛は32歳だ!』って。

そう言えば、年齢詐称よりも、性別詐称の方が、ずっと大問題なんですよね・・・・

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2009年1月20日 (火)

女性の存在意味

女性の意味というと、出産や育児をあげる人が多いけれど、私の場合は全然違います。

もちろん出産・育児はとても大切なことですが、でも私は『女性の存在そのもの』をあげたいと思いますね。

私はこれまでいろいろな作品を残してきました。それは小説・エッセー・歌曲、その他、いろいろな研究作品なのですが、正直に申しますと、その半分は女性のおかげです。女性のことを思い、女性からエネルギーをもらい、女性に喜ばれるように書いてきたのが、自分の作品でございます。

作家の瀬戸内寂聴さんも「恋をすると、全然作品が違ってくる」とおっしゃっております。そのお気持ち、とてもよく理解できます。特に歌などは、恋愛感情がストレートに出ることが多く、その意味で、たとえ特定の恋をしなくても、いろいろな女性のことを思いながら、作詞作曲をしております。

好きな女性がいますと、もう朝から違いますね。エネルギーが身体に満ちてきて、心にも張りが出てきます。人生が3倍くらい楽しくなります。

私はこれからも、好きな女性を持ち続けてゆきたいと思います。

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2009年1月19日 (月)

所ジョージさんから学ぶ

人の評価は変わるもの。私は若い頃、所ジョージさん流の生き方は、どうも中途半端な気がしたものです。「いい加減に生きている」、そんな気がしました。あまり好ましい方とは思えませんでした。

ところが、ある日、その考え方は大逆転しました。

日本テレビ系列の『目がテン』という番組でのこと。予定していた実験が見事に大失敗!しかし所ジョージさんは笑いながら、「何だ!失敗したじゃん!これじゃ、ダメじゃん!ハハハ」と平然としているのです。私は笑いながら、とっさに『このやり方は、いいな』と思いました(以来、彼のことが大好きになりました)。なぜなら、テレビと言いますのは、昔の『発掘!あるある大事典』でもお馴染みのように、データを捏造して、いかにもそれが絶対的に正しいかのように放映しがちです。「テレビの言うことは全部正しいんだ」なんてのは大ウソ。テレビの時代劇などでは、正義の味方は、悪人を毎週15人、トータルで何千人も殺します。そういう男をヒーローに祭り上げるテレビのすべてが正しいはずがありません。またプロの格闘技も八百長と無縁とは思えません。だから、テレビのいいところだけを私たちは選択して吸収すればいいのでしょう。

「失敗したじゃん!これじゃ、ダメじゃん!」と言いながら、失敗した実験をそのまま見せる番組。こういうのは逆にとても信用できるのではないでしょうか?思い返せば、学生時代の理科の実験。これは失敗の連続!重力の加速度(9.8m/s2)を求める実験では、どうしても11になってしまいました。。。ハハハ、これが世の中なのですよ。

夏目漱石がお見合いをしました。そのとき、中根鏡子という女性が、美しくもない歯を隠さずに笑っていたことが気に入り、結局この女性を妻にした・・・と聞いたことがあります。テレビの視聴者は「本物と作り物」の区別が(すべてではありませんが)案外わかっているもの。なるべく事実を淡々と伝えて欲しいものです。絶叫調のアナウンサーは自己満足だとしか思えません。視聴者は引いてしまいます。北京オリンピックも絶叫調でなければ、もっと見るのになあ・・・と私は去年の夏、何度も思いました。

「これは絶対に正しい!」、こう何度も言われると、本当かな?と思うのが人情。たまに実験がうまくいかない『目がテン』は逆に見てしまいますね。現在、この番組は長寿番組になっています。

所ジョージさんは、愛妻家だそうです。その理由を聞かれ曰く。「結婚した以上は、もう仕方ないじゃん!その方が楽だし・・・欠点のない人間はいないし」・・・確かに、そのとおりですね。

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2009年1月18日 (日)

本当に好きな人

皆、好きな人はいます。でも「どのくらい好き?」などと問われると、返事に困ります。恋人同士なら、「あの秋の空くらい」とか「太平洋くらい」などとロマンチックな話になります。そのあと、キスをして・・・

私は恋人はいないせいか、もっと現実的な表現をします。たとえば「その人が犯罪者になっても、好きであり続ける」という言い方をよくします・・・なぜなら社会というのは、とても厳しいもの。あのホリエモンさんも、逮捕され犯罪者になった途端、マスコミは急に彼を冷たく扱い出しました。世間もそうですね。掌を返したように、彼を非難し始めます。それは当然と言えば当然なのですが、でもマスコミも、ホリエモンさんには、随分稼がせてもらったのでは?・・・などとも考えます。

私は毎日のようにブログやエッセーを書いています。すると、他人様のことを書くときは覚悟が必要になります。加勢大周さんのように、裏切られないか心配になります。

私はとても好きな人には、「三人くらい人を殺しても、自分はその人を支持しよう」と思う時があります。もちろん殺人は最悪の犯罪ですから、好きと言いましても、同時に尊敬できる部分(社会的な有用性)もないとダメですね。ただし殺すと言いましても、「過失致死」くらいにしてほしいのですが。要するに、殺人犯になっても応援するくらい好きな人が、本当に心底好きな人なのだと思います。

たとえば私は明石家さんまさんが大好きです。彼なら、「三人くらい人を殺しても、人間として応援します」。彼には欠点もたくさんありますが、天才だと思っております。どこが?そりゃ、いろいろありまっせ!

・・・・最後に、加勢大周さんには、これからの人生、ぜひ頑張って欲しいですね。償えない人生は決してございませんから!

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2009年1月17日 (土)

三島由紀夫さんと沢田研二さん

最近YOUTUBEをよく見ます。YOUTUBEは昔の映像が見られますので、よく見てしまうのです。

三島由紀夫さんと沢田研二さんの映像も残っていました。三島さんは40歳頃。沢田さんは10代かな?・・・そういうお若い二人を見ると、自分の若い頃とかなり印象が違うことに気づきます。正直言いますと、私の若い頃、三島さんは、あまり親しみをもてませんでした。30歳以上も上の方ですし、小説を読んでも、共感できるところは少ない方でした。おどろおどろしいことを平気で書いておられますから。それに実生活でも、ボデービルディングと割腹自殺ですからね。沢田さんの方は、私より5歳上。かっこいいお兄さんという印象以外のものはあまりございませんでした。

でも、今YOUTUBEで、今の私よりも、ずっとお若いお二人を見てみると・・・三島さんは、まず声がとても魅力的だということに気づきます。澄んだ低音なんですね。眼もどこか澄んでいます。話している内容については、一部共感できましたが、そうでないところも多い。でも、とても魅力的な方であると思いました。10代の沢田さんは、もうすごく引きつけられますね。歌っている歌が『銀河のロマンス』という私の大好きな歌のせいもありますが、この10代の青年を愛さずにはいられない・・・という感じです・・・私の若い頃の印象とは、まるで天と地のように違っております。

このように見てみると、人間の本性とは何なのか?と思ってしまいます。人間は見る角度によって全然違ってくるという真実。また時間の経過によっても、評価はまるで変わることがあります。時が経てば、昔嫌いだと思っていた人も、とても好きになるかもしれません。逆に反対の場合もあるでしょう。となると、私の過去は、あくまでも過去なのであって、月日が経ち、自分の立場も変わり、相手の真実もわかってくると、過去などは消え去るのかもしれません。『三島由紀夫 剣と寒紅』( 著者名. 福島次郎)は、とても衝撃的な内容でした。アッと驚きました。でも今は同性愛者もどんどん認知されつつあります。このような時代に、三島さんが生きていらしたら、どうなのか?と思います。それにパソコンで小説を書ける時代ですからね。沢田さんはもう60歳で現役・・・ますますご活躍していただきたいものでございますね。けだし、YOUTUBEは人生を学ぶいい教材ですね。また見ようっと!

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2009年1月16日 (金)

最近話題のGIって何なの?

最近、ダイエットなどのトピックの中で、GI値というのが、とても重要であることがわかってきました。このGI値とは「グリセミック インデックス(glycemic index)」のこと。これは「血糖上昇係数」などと訳されます。要するに「血糖値の上昇は、食べ物によって違う」ということでありまして、これがダイエットや健康維持にとって、とても大切なことだと、識者が言い始めたのです。でもこれって、どういうこと?

実は、血液の中の糖とか脂肪などは、あまり高い値であってはいけないのです。理由は壁のある狭い道などを思い浮かべてみれば、納得できます。そのような狭い道を、多くの人が歩いていますと、どうでしょう?人々が壁にぶつかります。すると、壁が傷つき、ペンキなどが剥がれます。これと同じ原理で、血糖値の上昇は、血管を傷つけるわけであり、血管にとって、ヒヤヒヤものなのです。ですから、血管にしてみれば、「糖や脂肪たちよ、夜遊びは止めて、早く家に帰って、寝て頂戴ね!」と思っているわけです。「家に帰って、寝る」ということは、「糖や脂肪が、細胞や肝臓などの中で、休んでほしい」・・・ということでありまして、この仲介作用をしてくれるのが、インスリンなのでございます。本来のインスリンはとても働き者。特に食後はフル活動をいたします。

でも、いくら働き者のインスリンにしても、あまりに急激に食後の血糖値があがるとどうでしょう?まずインスリンは、「なんぎやなぁ」と思い始め、そのうち「ワシ、疲れたで。もう、あかんがな。やってられへんで」ということになり、最後にはすねて働くことをサボるようになります。これが糖尿病です。糖尿病になると血管は傷つき放題。最終的には、失明とか腎不全とか足先などの壊死につながるわけでございます。腎不全になると、週3回一回4-5時間の透析が必要です。もっと怖いのが失明です。脚の切断も嫌ですね。でも実際には、こういう方たちは、皆様の周囲にも大勢いらっしゃることでしょう。そして、これらはある日、「もうダメです」と宣告されますので、毎日の健康管理が必要なのです。

・・・要するに、食後ゆっくりと血糖値があがればいいんですね。その場合、インスリンは大喜びで思います。「楽チン楽チン、こんなら、ワシ、ずっと働けるで。時給1000円でもええさかい。家に帰ったら、発泡酒でも飲みながら、タイガースの試合でも見よか」ということになり、ニコニコ顔で、いつまでも働くことができるのです。

・・・以上の説明で、GI値がいかに大切かがわかっていただけたかと思います。失明や脚の切断・・・そして週3回、一回4-5時間の過酷な運命を避けられるわけです。私たちは、ぜひ興味を持ちたいものですね。

また今回は説明を省きますが、GIの低いものを食べれば、ダイエットにもとても効果があるのです。

ところで、ネットは便利なもの。GIと検索すれば、いろいろな食べ物のGI値がずらずらと出てきてくれるのでございます。

たとえば、白米は81だけど玄米は55。普通の食パンは91だけど、全粒粉は50・・・・とまあ、このように、GI値の低いものを食べれば、ビタミンやミネラルの栄養価が高い上に、同時にゆっくりと血糖値が上がります。つまり、ハッピーハッピー(「二重のハッピー」)となるわけでございます。

詳しくはネットで「GI値」と検索されるか、または下記をご覧くださいませ。

http://www7.plala.or.jp/pon31/gi.html

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2009年1月15日 (木)

一番好きな歌は?

遠い昔、紙芝居というものがありました。その紙芝居の話を作っておられた方に、加太こうじという人がいらっしゃいました。この人の持論に「その人間が一番好きな歌は、その人が15歳ころに聞いた歌だ」というものがございます。なぜなら15歳と言いますのは、第二次性徴期。丁度、社会の構成員としての自覚を、初めて持つ時です。そういうときに聞いた歌(とりわけ流行歌)と言いますのは、その後の自分の人生を精神的に支えてくれるものなのだ・・・と加太こうじさんは主張するのでございます。

つまり鮭と同じですね。鮭は自分が生まれた川の匂いを覚えています。で、いつか自分の川に戻ってきます。これと同じように、15歳のときに聞いた流行歌などは、その人の源流となる・・・という考えなのでしょうか。

加太こうじさんによりますと、これは的中率抜群。とても自信がある持論とのことでした。

この話を25才ころに初めて聞いたとき、私は一瞬「そんなバカな話はないだろう!」と思いました。なぜなら、流行歌というものは、「出来のいい歌」「出来の悪い歌」がありまして、「出来のいい歌」を好きになるのであって、もしも15歳のときに、「出来の悪い歌」ばかり流行っていたら、そんな歌を好きになるはずはないからです。

このように思いながら、自分の過去を振り返ると、あらら・・・加太こうじさんの言うとおりではございませんか!私の15歳の頃は、グループサウンズの全盛期。特にタイガース(沢田研二など)が大活躍でした。彼らの歌の中に『銀河のロマンス』(作詞橋本淳・作曲すぎやまこういち)がありまして、私はこの歌が最も好きな流行歌なのです。そう、ピタリ、加太こうじさんの言うとおりなのです(なお『銀河のロマンス』は「YOUTUBE」で見られます)。

・・・この話から学ぶことは非常に大きなものがあるようです。

つまり、物事は、客観的評価のほかに、いやそれ以上に、主観的評価が大きな意味を持つということでございます。

たとえば、女性が結婚相手を決めることに関しましては、「自分の理想の男性」とするのではなく、結婚したい気持ちになったときに、たまたま「そばにいた男性」とするものだ・・・という方が、正しいのかもしれませんね(逆に申せば、その男性が、どんなに理想の男性であろうと、女性がその気にならなければ、結ばれることはございません!)。

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2009年1月14日 (水)

発泡ワイン、買ってみました

クリスマスころに飲んだ発泡ワイン買ってみました。フランス産が見当たらなかったので、オーストラリア産で試してみました。私にはフランス産の方が好きに思えました。味が全然違うのです。アルコール度も、4度ほどオーストラリア産の方が高いですね(11度くらい)。

それにしても、この前述べた赤ワインの例と言い、国より味は全然違いますね。きっと同じ国でも、地方によっても違うんでしょうね。だから、他のオーストラリア産は好きかもしれませんね。

私たちが「アメリカは・・・」とか「中国は・・・」などと言ってるのは、あくまでも小さな視野でしか見ていないということでしょう。特にアメリカは州によっても全然違います。たとえイラク戦争が起きても、チベット問題が起きても、アメリカや中国には、いい人も山ほどいます。実際にアメリカに行ったときに、このことにハッキリと気づきました。そう。最後には、人間は個人です。個人は国を軽々と超えます。私はなるべく「アメリカは・・・」とか「中国は・・・」などとは言わないようにしています。日本人だって、アメリカ人から「真珠湾攻撃は・・・」などと言われたくないですからね。

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2009年1月13日 (火)

マスクをしましょう!

本格的に風邪(またはインフルエンザ)の季節になりました。

私はいつもマスクをすることをお勧めしています。この方法によって、私はこの5年間一度も風邪を引いておりません。なぜ?

そもそも風邪を引くとは、呼吸器官の防衛機能が、ウィルスに負けてしまうからでございます。でもマスクをすることによって、呼吸器官を暖めます。すると、血管やリンパ管が太くなって、T細胞、B細胞、好中球、マクロファージなどの防衛軍をどんどん投入できるわけです。かくしてウィルスは勝てません。またウィルスは湿気に弱いので、マスクで喉を湿らせると、ウィルス軍は「こら、あかんで、早々に退散や。家に帰ってテレビでタイガースでも応援するか。新井はん、がんばりーや」となるわけです。

よろしければ、ぜひ、お試しくださいませ。

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2009年1月12日 (月)

武田鉄矢さんが生まれた背景

武田鉄矢さんの『母に捧げるバラード』というエッセーを読まれたことがございますか?もしも「私はあの男は嫌いだ」などの理由で読まれていないとすれば、とんでもないことです。偏見をお捨てになって、ぜひとも読むことをお勧めしたいと思います。こんな面白いエッセーは滅多にございませんから。

どこが面白いかと申せば、武田家というあまりできのよくない家庭の真実が赤裸々に語られているのです。

まずお父様は工場に勤めておられるのですが、お酒が大好き。給料をもらうと、すぐに友人たちと酒場に行き、給料のかなりの部分を使ってしまいます。しかもやや酒乱気味な方。家に帰ると、家族相手にあばれることも、ときどきございます。「俺は中国兵を殺してきたけん」などというような過去の兵隊時代の話をし、あるときなどは何を思ったか、「子供を皆殺して、俺も死ぬけんね!」などと言い出し、包丁を持って、子供を追い掛け回します。

長女の方は家出をしております。

長男の方は学校の成績が良く、東京の早稲田大学に行っておられます。ところが、この方の学費のしわ寄せもあり、一家は経済的にとても苦労します。米も毎日少しずつ買いに行ったりします。

主人公は何と言いましても母親イクさん。彼女は、夜の一時ごろまで裁縫をするなど、毎日働き尽くめです。アメリカ軍の基地とか、豆腐売りとか、いろいろな仕事も経験され、独特の人生哲学をもっております。とにかく彼女の言動は非常に面白く、これを読むだけでもこのエッセーを読む価値があります。たとえば、知り合いの女性が自分の苦労話を切々と話すのですが、イクさんは一言「あんたの話はつまらんばい!」と言い捨てます。イクさんは人生、いかなるときも明るく生きることを勧めます。自らが自動車事故で瀕死の重傷を負った際も、「人生、いいことの前には、悪いことが起きるけん」と恬淡としています。鉄矢さんから、やや多目のお金をプレゼントされたときは、鉄矢さんに土下座をします。で、「こんな婆さんに、こぎゃんお金ばくれる人は、日本中探してもおらんたい」と言ってきちんと感謝します(個人的には、この箇所が大好きです)。

武田鉄矢さんの行動も、イクさんほどではありませんが、かなり面白いですね。たとえば大學受験を失敗したあとは、気が散るからと言って、平日は自宅の押入れの中で、勉強をします。日曜日は、エッチな映画を見に行ったりします。なんとか福岡教育大学に合格され、聾唖の子供たちの教師になろうとするのですが、フォークグループ『海援隊』を作り、これが当時のフォークブームにも後押しされて、花が咲きます。もっとも一度花が咲いた後は、急に売れなくなり、皿洗いなども経験します。ですが、山田洋次監督の映画に出演してからは一気に開花し、類まれな名俳優としての現在の地位を確立することになります。

その他、次女、三女、お祖母さん・・・などの方々も、すぐに読者の瞼に浮かぶように個性的に描かれております。

・・・とまあ、このような内容なのですが、かなり正直にすべてのことを書いておりますので、いい道徳本としても、ぜひ推奨したいと思います。エッセーは、自分の恥も含め、正直に書くのが一番だと思います。最後に、100%とは申しませんが、85%くらいの確率で、武田鉄矢さんのことが好きになることでしょう。私も読む前よりはずっと好きになりました。

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2009年1月11日 (日)

放送禁止歌とかわいそうな北島三郎さん

私は20歳のころ、東京大森の建築現場で働いておりました。そのとき、警備の仕事をしながら聞いていたのがラジオのリクエスト音楽番組でございました。当時、皆様が注目していたのが、なぎら健壱さんの『悲惨な戦い』。この歌詞の内容は、ある有名な相撲力士のまわしが取り組み中に取れてしまうというもの。かなり多くの支持を集め、リクエストのベストテンにも入っていたと記憶しております。この歌を、一週間ほど聞いていたでしょうか?ところが、ある日、アナウンサーが重々しい口調で宣言するではありませんか!「*位にランクインされたなぎら健壱の『悲惨な戦い』は、昨日放送禁止歌に指定されました。従いまして、本日より放送できません!」と。私は一瞬何事が起こったのかと思いました。ですが、正直言えば、それらしい予感もありましたので、しばらくしてから、「やっぱりな。無理なんだろうな」という納得の気持ちになったのでございました。

そして同じことが5年後にも起きました。千葉県の安い大衆酒場で、ビールの中ビンを飲んでいましたとき、『金太の大冒険』という衝撃の内容の歌が有線で放送されました。私はその驚くべき内容に肝を潰しました。間違っても内容はここには書ける類のものではございません(ここだけの話ですが、どうしても知りたい方は、『YOUTUBE 金太の大冒険』と入力すれば、聞くことができます。でも紳士淑女の皆様!気付け薬をご用意くださいませ!)。でも、この歌は次の日に、すぐに放送禁止歌に指定。聞くところによりますと、儚い寿命はレコード発売後20日間だったということでございます。

でも、歌謡曲の歴史を調べますと、あの美空ひばりさんやピンクレディにも放送禁止歌は存在します。要するに、とても有名な歌手・・それから『イムジン河』のような名曲も、放送禁止になっているのでございます。名人たちも大きな失敗を経験しているんでございますね。

ところで、放送禁止歌の歴史の中でも、最もかわいそうな方の一人が、北島三郎さんではないでしょうか?北島三郎さんは若くして北海道から上京。渋谷でギターの流しをしておりました。しかし、なかなか芽が出ません。何回かいい話があったそうですが、結果的にお金をむしり取られただけという辛酸も味わいます・・・で結局、覚悟を決め、作曲家の船村徹先生の弟子入りを志願し、内弟子となることができました。とは申しましても、なかなかデビューはさせてくれるものではございません。そう。レコード会社が、サブちゃんをほとんど評価せず、首を縦に振ろうとしなかったのでございました。これじゃ駄目だということで、一時は漫才の真似事をやらされました。芸名は『ゲルピン・ちん太ぽん太』。何とも奇々怪々な名前でございます。そのぽん太役が、我らがサブちゃんだったのでございました。ですが、『ゲルピン・ちん太ぽん太』、何とたった一回の舞台で挫折します。やはりサブちゃんには漫才は向かなかったようでございましょうか。仕方なく、サブちゃんは再度、歌手にカムバック。しばらくして、やっと船村徹先生のご尽力で、レコードデビューということになりました。この間、内弟子からすでに三年くらいの時間は経過していたのではないでしょうか?

さて、そのときのデビュー曲が『ブンガチャ節』。ところが、この『ブンガチャ節』、何とも悲劇的なことに、すぐに放送禁止歌になったのでございました。歌の中の合いの手の部分が猥褻だったのだとか(詳しくはネットをご覧ください)。そのときの北島さんはどんな心持ちだったでございましょうか?やっとの思いで願いが叶ったデビュー曲。そのデビュー曲が放送禁止歌なんですからね。死ぬ思いでマラソンを走り終えた後、今度は借金取りに追いかけられるようなものではないでしょうか?

・・・・でも、さすがサブちゃん!その次に出た『なみだ船』が20万枚の大ヒット!そのあとはご存知!大スターへの道をまっしぐらだったのでございます。

以上の北島三郎さんの悲劇と成功の軌跡は、私たちにも、生きる勇気を与えてくれるのではないでしょうか?

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2009年1月10日 (土)

飯島愛さんの悪い噂の真相(「決まりに反逆し、決まりに負けた人?」)

近所に都営団地がございます。かつて子供の頃の飯島愛さんが住んでおられました。そこで、数人の人に、飯島愛さんの噂を聞きます。すると、やはり中学生時代はかなりヤンチャなことをなさっておられたそうでございます。

だからと言いまして、私は彼女をストレートに責めたくはございません。なぜなら中学校の基準がそのまま正しいかというと、決してそうではないからです。たとえば、なぜ中学生たちは朝礼のとき「気をつけ、前ならえ!」のようなことをせねばならないのか?なぜ制服を絶対的に着なければならないのか?・・・などなど、ちょっと考えただけでも、疑問な点はゾロゾロ出てきます。授業にしましても、なぜ決められた時間に、ひとつの決められた勉強をしなければならないのか?・・・国語の時間でも、数学をやりたければそれをしてもいいではないか?・・・眠たければ、一眠りしたあと勉強をしてもいいではないか?・・・などなど疑問な点はいろいろ出てきます。まして、英語で5を取っても、英語が話せるわけでもなく、理科で学年トップの成績でも、宇宙のナゾは全然解明されないわけです・・・このように考えましたとき、現在の中学は一応正しいといたしましても、絶対的に正しくない限り、「反逆者」は必ず何人かは出てくるわけであり、その一人が飯島さん(本名・大久保松恵さん)だったのでしょう。

私の大好きな書物に中国の古典『荘子』がございます。『荘子』の教えは、人間は皆、宇宙の大道(タオという)に従うべきことを説きます。つまり、人間は小さい規則などに従うよりも、大きな宇宙の根本原理のようなものに従っていれば、安楽に暮らせ、また世界も平和になるだろう・・・という思想でございます。『荘子』の中の一文に「裁く人がいるから、泥棒が生まれる」と書かれてあります。確かにこれは当たっております。世の中は、「偉そうな人がいると、かえって悪さをしたくなります」。私は今まで万引きをしたことはございませんが、一度だけ「しようかな」と思ったことがあります。それはスーパーの駐輪場で、二人の中年女性がいて、自転車に自分の荷物をおいてそのままスーパーに入ろうとしたときでした。一人の女性が私の方をこっそり見ながら、「まさか、盗まれないわよね」と言うのです。もう一人が「まさか大丈夫でしょ」と応えます。ですが、ここで会話は終わらず、この「まさか、盗まれないわよね」を、私の顔を盗み見るように、三度も繰り返すのでした。このときばかりは私も、本当は全然盗みたくはないけれど、「この人たちがスーパーに入ったあと、あえて盗んでやろうかな」・・・と少しだけ思いました。

大久保松恵という中学生も・・それから、シンガーソングライターの尾崎豊さんなども、社会の勝手な決まり(こういうものは主として体制側にある人が作ったものですが)を目にしたとき、あまりに親や教師たちから「この規則は絶対だ!」などと押し付けられると、本当はあまり壊したくもないけれど、あえて壊してやろうか・・・と思いたくなったのではないでしょうか?少なくとも、そういう気持ちになる人が、少数派として存在してもおかしくないと思います。また、それが宇宙の法則のような気もするのです。

結局、あのとき万引きをしなかった私も、矛盾だらけの学問を目にして、「これで説明がつく」などとウソの権威を振りかざす偉そうな学者などを目にすると、「ウソを言わないで欲しい」と思い、反逆的な気持ちからフラカン理論を作り上げたのですが、そういう意味で、飯島さんや尾崎さんのお気持ちがよ~くわかります。

ただし飯島さんの人生を冷静になって思うとき、やはり何かこだわりを持って生きていたように思います。彼女がTBSの番組で、有名な霊能者の木村藤子さんから、悩みをズバリ指摘されたとき、それは彼女の誤ったこだわりについて諭されたのでした。木村藤子さんは「そんなことにこだわるのは間違っている」と言われましたが、彼女はそのこだわりを捨てられなかったようなのでございます。そして結局、不眠の日々が続き、睡眠薬などに頼る生活になったのではないでしょうか?

要するに、彼女は、学校や親や社会の決まりに反逆したけれど、自分の中にも決まりを作り、その決まり(=こだわり)が彼女を滅ぼした・・・と言えはしないでしょうか?

『すべてを捨てること』・・・・ここから、すべてが生まれるのだと確信いたします。

現在私には、好きな女性がおります。ですが、でも彼女と結ばれようとは思いません。結ばれないなら、それはそれでいいと思っております。結ばれることが、真の幸福とは言えませんし、やはり最終的には、心の中に、無の心を持っていることが人生にとって一番大切なことなのだと思い、毎日を健康に過ごしているわけでございます。私の人生、眠れない夜は、ほとんど皆無でした。生まれつきのバカだと言われれば、それまでなのですが。

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2009年1月 9日 (金)

「杉田かおる」は及ばざるが如し

私はごくごく稀に、タレントにファンレターを送ることがあります。女優の杉田かおるさんにも、一度だけ送ったことがございます。キッカケは、彼女がトーク番組で「私は18歳の頃、自殺しようと思った」と語られているのを見たからです。

杉田かおると言えば、私にとってはやはり「チー坊」。私が大学生の頃、『パパと呼ばないで』という番組で、よく拝見し、7歳の「チー坊」はそのかわいい笑顔と演技力で、私たちを魅了したものでした。ですから、そんな彼女が「自殺しようと思った」と語ったとき、心の中が切なくなり、どうしても手紙を差し上げたくなったのです(ちなみに、このとき彼女は30才くらいではなかったでしょうか?)。

手紙の内容は、詳しいことは忘れましたが、ひとつだけ覚えているのは「人間は宇宙という大きな存在によって生かされているという視点さえ持てば、人生のさまざまな苦難などは芥子粒のように小さなものに思えてきて、何とか苦しい人生を乗り切れるのではないでしょうか?」ということを書きました。

私の手紙などは偶然でしょうが、彼女はその後急に吹っ切れたようにバライティ番組などに出るようになり、奔放な発言を繰り返し、さなぎが蝶になるように脱皮し、たちどころにお茶の間のバライティ・アイドルになられました。私はそんな彼女を密かに応援しておりました。

彼女が結婚なされたとき、私は「彼女は案外すぐに離婚なされるのではないか」とも思いました。なぜなら、人生の修羅場を潜り抜けてきた彼女にとっては、結婚さえもチッポケな儀式に過ぎず、そういうものに心縛られるような女性ではないと思っていたからです。つまり、たとえ結婚をなさっても、したたかな彼女は「危険な発言を繰り返せというお茶の間の期待」に応えようとするだろうと思っておりました。

案の定、彼女はアッという間に離婚なさいました。

そのときも今も、世間の人は、彼女のことを『すぎたるは及ばざるが如し』と思っていることでしょう。つまり「あまりに過激な言動を繰り返したため、結婚相手から嫌われ、結婚もできない女になった」という意味です。でも私は違うと思います。彼女は『すぎたかおるは及ばざるが如し』なのです。そう。「杉田かおるという個性の顔は世間の基準に及ばないように見えるけれど、実は、それを超えている・・・つまり『及ばないように見えるだけだ』」ということなのでしょう。すなわち『すぎたるは及ばざるが如し』+『顔』=「すぎた『かお』るは及ばざるが如し』・・・ということです。彼女には顔があるのです。

もしも彼女にとっての理想の男性がいるとすれば、彼女を孫悟空として、自分の掌で遊ばせてくれる男性でしょう。でも、そういう心の広い立派な男性は、多分見つからないでしょう。

最終的には、「ケツをまくった女は男よりも強い」・・・ということでしょうか?でも「一度ケツをまくった女性」は、その後、暗い夜道を独りで歩くような孤独に耐えられなければなりません。

でも、きっと彼女ならできるのではないでしょうか。

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2009年1月 8日 (木)

他山の石

私の中学時代に、「とんでもない英語の先生」がおられました。その先生は、自分の非を絶対に認めないのでした。どういうことかと申しますと、その先生の作ったテストの中に、こういうものがありました。「Is this an apple or an orange?・・・この文章の最後のイントネーションは上げるのか下げるのか?」という問題でした。私は自信満々で「下げる」と答えました。私ばかりでなく、ほとんどの生徒はそう解答しました。ところが、その先生は「上げるのだ」と言い張ります。私たち生徒は抗議iいたしました。と同時に、英語のわかるいろいろな年長者に、「あげるのか下げるのか」と尋ねて回りました。当然、全員が「下げる」と答えます。その結果を、その英語の先生に伝えます。でも、その先生は断固として「上げるのだ」と言い続け、自らの非を認めることは絶対にありませんでした。

この出来事から、私はいろいろなことを学びました。そして、こういうことは世間ではしばしば行われていることに気づきました。たとえば、太平洋戦争の末期の1945年8月。阿南陸相は「日本人は最後一人になっても、戦い続けるべきだ」と発言されております。原爆が落とされ、ソ連が対日戦に参戦している時期ですから、もうムチャクチャな発言なのでございます。インパール作戦の立案者である牟田口中将は「日本兵はビルマの草を食べて戦うべきだ」と言っております。もちろんこんなことできるはずもなく、日本軍は食料を持たずに戦い、大惨敗をしております。当時、季節は夏にかかっておりましたので、日本兵のご遺体は一週間で完全な白骨となりました。それがビルマの道に沿って、多数見られました。その様子が『白骨街道』と呼ばれていたのは承知の事実でございます。

こういうことは世間ではよく見られることでございまして、戦争の場合は、直接人の命にかかわることですので、わかりやすい例としてあげてみました。そう。失敗と言いますのは、失敗とわかった時点で、すぐに改めるべきなのです。それがすばらしい指導者の条件なのでありまして、人々は、そういう指導者を逆に高く評価するでございましょう。たとえば松下電器(現パナソニック)。この会社は自社の欠陥石油ストーブの対処を誠実に行ったために、逆にすばらしい会社として、一転して評価が高まったのでございました。指導者や会社、そして私たちたち人間は、かくありたいものでございます。

昨今の定額給付金問題にしましても、「間違い」とわかった時点で、きちんと対処するのが正しく、そうすれば自民党や公明党の評価は高まり、次の選挙にも有利だと思うのでございますが。また麻生首相は、年頭の書初めに『未曾有の活力」』と書くのが正しく、こう書けば、麻生さんの評価は一気に高まったことでございましょう。いずれにいたしましても、自民党、公明党、麻生さんには、今後のご努力に強く期待いたしたいと思います。政府の政策の善悪は国民の生死に直接かかわるものでござますから。

ちなみに阿南陸相は、その後責任を取り、自刃されておられます。牟田口中将は聞くところによりますと、その後も、自らの責任をあまりお認めにならなかったとか。ネットを調べると、戦後は中華レストランの経営者となられたと書いてあります。

ちなみに、件の英語の先生は、後者でした。

人格まで否定するつもりはございませんが、こういう先生にはなるまいと、私は常々思っております。

(それにいたしましても、当時、他の教師たちは、どうして、この英語の先生に、一言忠告をしなかったのでしょうか?たった一人の先生でも注意をしていれば、事態は好転していたと思うのですが。私の脳裏には「縦割り行政」という言葉が鮮やかに浮かんできます)

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2009年1月 7日 (水)

日本の高校生は少し悲しい(ボクちゃんと革命戦士)

朝、犬の散歩に出ます。マンションの入り口に小学生が数人、屯しています。集団登校のために、他の子供を待っているのです。冬ですので、ズボンを穿いている子がほとんどです。特に女の子は、ほぼ全員ズボンです。マンションを出ると、中学生に出会います。中学生は制服を着ていて、女の子は、裾が膝あたりまでのスカートを穿いています。そう。近くに文花中学校があるのです。この中学校は特殊な学校でありまして、いろいろな方、たとえば65~75歳くらいの方でも学んでいます。昔、家庭の事情などで中学校に行けなかった方たちですね。ときどきテレビでも取り上げられます。会社の社長さんなども学んでいますので、いいドキュメンタリー番組になります。またこの学校は先日亡くなられた飯島愛さんの卒業された中学校でもあります。

次に私は高校生に出会います。高校生を見ると、北海道育ちの私はビックリします。高校生の女の子たちは全員がミニスカートの制服なのです。寒空の下、二本の素足がいかにも凍えそうです。でも100%皆が膝上20センチ前後のミニなのです。何が彼女たちにそうさせるのか?、私はつらつら考えてみます。でも愚かな私にはよくわかりません。確かなことは、ミニが彼女たちの何らかの強いメッセージなのだということなのでしょう。相当強烈なメッセージがなければ、あんな自己犠牲はできません。ただ変なことだけは確かです。あまりにも変なことは確かです。真冬に素足のミニスカート・・・・健康的にも絶対によくないでしょう。

次に18歳以上のいろいろな年長の女性たちに出会います。ところが、こちらはほとんどがジーンズなどのズボンを穿いています。そう。高校を卒業すると、再度ノーマルに戻るんですね。とすると、高校の三年間が、突出してあまりに変だ・・・ということになります。そして、彼女たちのミニに籠められた強いメッセージを思うとき、かわいそうにもなるのでございます。

自分自身の高校時代を思い起こしても、日本の高校生は少し悲しいと思います。なぜなら肉体的にはほぼ大人に近づき、戦前の女性であれば、とっくに子供を生んでいる年齢でもあります。あの武田鉄矢さんのお母さんのイクさんは、15歳で最初の子供を生んでいます。学校の授業でも、かなり高度な学問を学んでいます。古典では源氏物語とか蜻蛉日記とか万葉集などを学びます。日本史では日露戦争や世界恐慌の原因などを学びます。倫理社会ではカントやデカルトを学びました。英語でもラッセルの論文集などを授業でやっておりました。数学では微分積分などを学びます・・・・そう。あらゆる授業は、かなり高度に専門的なことを学びます。ところが、学校を一歩離れると、社会的には全然相手にされません。特に男の高校生は、(今はそうでもありませんが)「ボクちゃん」扱いでした。私もいつも岩波新書とか文芸春秋を読んでいたにもかかわらず、25歳くらいの女性から「ボク、お菓子食べる?」などと言われておりました。まるで「ボクちゃん」扱いなのです。私の周りの同級生などはもっとすごくて、「プロレタリアート革命」を声高に叫び、ついに授業を3週間近くもボイコットし、寮生活の高校生による自治などを訴えておりました。ところが、このような真摯で激烈なる革命戦士も、学校を出ると「ボクはどう思うの?」なんですからね。この異常なまでのギャップは何なのでしょうか?・・・高校生の私は革命戦士とは無縁の学生でしたが、いつもいつも不思議に思っておりました。

ただ、この不思議さが、綿々と今も続き、女子高校生のミニスカートへと受け継がれていると思えば・・・やっと、彼女たちの突飛かつ異常な行動が、大変に良く理解できるのです。それは、自分たちを子ども扱いする女子高校生の反逆のようなものなのでしょう。

しかしここで、日本社会体制派のために弁護を少しだけしてみましょう。私は高校生のときに志賀直哉の『暗夜行路』を読みました。この作品は私の好きな小説でしたので、30歳のときにも、じっくり読みました。そこで気づいたことは、「高校生のころは、人生について何にもわかっていなかった」という確かな事実でした。社会の裏とか、男女の恋愛の機微とか、そういうことですね。それが全然わかっていませんでした・・・でもそういう社会や人間の裏表を知ることは不幸なことでもあります。そういう意味では、高校生も、きちんとした人格をもった人間として認められるべきだし、私は18歳を成人とすることには大いに賛成なのでございます。

私たちは、「女子高校生が真冬にミニを穿かなくてすむ社会」を作りたいものでございますね。それは「女子高校生の一人ひとりの人格がきちんと認められる社会」でなければなりません。

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2009年1月 6日 (火)

市販食品はヤバイかも・・・

今回の柏市探訪ではいろいろな副産物がございました。そのひとつが、やはり「市販の食品の多くは、栄養学観点から言うと、大いに失格だった」ということに気づいたことでした。

元日は「ららぽーと・柏の葉」で、自然食品いっぱいのバイキングを食べました。栄養学的にもとても満足できるものでした。しかし二日目、三日目はスーパーで買ったものを中心に食べてみました。と言いますのも、ホテルの単品の食事よりも、もっと豊富な栄養が摂れると思ったからです。でも結果を申せば、それほど満足できるものではございませんでした(もちろん調理用具があれば、何の問題もありません。ですが、ホテルに宿泊すると、それは無理です。ただし携帯用のガスコンロとガスを持ち運ぶという手がありますが、これは少々面倒だし危険もありますよね)。

というわけで、私はスーパーでなるべく栄養学的に合格点の食品・・・そしてもちろん、自分の好きな食品を買ったのですが、結果はどうでしたでしょうか?・・・・一例を申し上げましょう。私は枝豆(栄養学的も満点です!)が大好きなので、これを2パック(調理済み)も買い求めました。ところが、全くの悲劇でした。しょっぱくて食べられないのです。おそらく調理した人は、「なるべく長持ちさせるために、塩を大量に入れたのでしょう(経済的な理由だったのです・・・このお気持ちはとてもよくわかります!)」・・・かくして、折角の枝豆は食べられず、現在我が家の冷蔵庫で、野菜炒めに少しずつ混ぜて食べています。

納豆!これも私は大好きです。しかも栄養学的にも満点。ですが、今回の旅行で気づくことがございました。それは「納豆は、一日6パックしか食べられない」という冷厳なる事実でした。それ以上は、どうしても身体が受け付けないのです・・・オーノー!

炭水化物を摂るために、コーンフレークを買い求めました。コーンフレークも栄養学的には、かなりいい食品ですね。ですが、これは食べてみると、甘すぎてダメでした。きっと子供の口に合うように作ってあるのでしょう。これも経済的な理由であり、このお気持ちはとてもよくわかります!でも、こんな甘いの食べたくないよう!・・・が実感でございました。

パンやお菓子類は、おしなべて精製小麦粉中心で、その他、多目の脂質と白砂糖が入っています。ですから現代人にはあまりいい食品とは言えません。食後、血糖値が急激に上がり、血管のためにはよくないのです。またビタミンとミネラル不足になるでしょう。ご飯の弁当類はどうでしょうか?これも野菜が決定的に不足しています。オカズの多くは唐揚げなどの脂質たっぷり。となると、これも全くの不完全食品と申さねばなりません。

果物も栄養学的には、甘すぎて糖分が多すぎます。結果的に私はイチゴとバナナを買い求めました。でも、満足とはいきませんでした。

・・・かくして、追い詰められた?私は栄養学的に満足のいく食品であるヨーグルト(500ml)を3個と、牛乳(1リットル)を3本も、買い求めたのでした。そして、これも今回改めて気づいたのですが、三日間でヨーグルト1500mlと牛乳3リットルを飲むことは無理があるということでした。結局牛乳500mlは飲めませんでした。でもいい考えが浮かびました。500mlのミネラルウォーターのペットボトルに入れればいいと思いました。洗面所で、こぼさないように入れました・・・やったぁ!・・・コートのポケットに入れました。でも、電車の座席に座ったとき、ポケットから、ポロリこぼれ落ちてしまったらしい・・・ぐぎゃーおー。

・・・・このように書いていくと、自らの切ないほどの愚かさとともに、現代人が万病に蝕まれる理由が大変よくわかります。そう。市販品の多くは・・・経済的な理由と消費者の皆様の無知のために、栄養的に失格の製品なのでございます。せめて、玄米のご飯や、全粒粉のパンが、豊富に市場に出回れば、糖尿病患者はすぐにでも半減するでしょう。その他、さまざまな疾病がこの世から消え去るでしょう。そうなると健康保険制度も健全になるでしょう。最後に病院経営も健全になるでしょう。一人ひとりの個人が健康な人生を送ることができるでしょう!

皆様!・・・これって、実はとても大切な問題だと思いませんか?

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2009年1月 5日 (月)

永田寿康氏の自殺について思う

永田寿康氏が自らの尊い命を断たれました。愚かな私には、その理由はわかりません。また一人の人間の死には様々な複雑要因が重なっておりまして、他人の推量を超えるものがあることでしょう。しかし、かくいう私もこれまでの55年の人生、何度も筆舌に尽くしがたい悲しい体験をしておりまして、そのつらい経験から、今回の悲しい自殺について、一言述べる資格と義務があるように思うのです。

永田寿康氏はかつて自殺未遂をなさっておられます。その際、私はエッセーの122番に「元国会議員の自殺未遂」というタイトルで発表させていただきました。下記のURLです。http://www5.ocn.ne.jp/~gobest/mail.html

私は再度読み返します。そして永田氏は「すべてを捨てられなかったんだな」と思いました。そう。自殺とは「人生のすべてを捨てられなかった人がするもの」なのです。

また愚かなる私は今春早々、「この世で最も怖いもの」というエッセーも書きました。141番です(下記URL)。この中で、「この世で一番怖いもののひとつが、過去の自分の成功体験だ」と申しました。多分、永田氏の自殺にも、『過去の燦燦と輝く栄光』が潜んでいたことは間違いないでございましょう。

http://www5.ocn.ne.jp/~gobest/kowai.html

これまでの私の人生、『最も大切なもの』を失い続ける人生でございました。母は4歳のとき失いましたし、多くの最愛の恋人も失いました。大學も退学という形で失い(のち、復学して卒業)、北海道の故郷の町は寂れ果て、東京に出てきてからも住居を建替えのため二度も立ち退きに遭いました。小学生のときは、クラスの皆が聞こえるような大きなオナラをしてしまい、一気に信用を失いました・・・こういう、『最も大切なもの』を失った人間は、間違っても自殺などしないでしょう。なぜなら常に「すべてを捨てられる覚悟ができているから」です。いつもantisuicideのimmune systemがpsychonetworkの中にできあがっているんですね。

もう一度申しましょう。自殺とは「人生のすべてを捨てられなかった人がするもの」なのです。

あなた様は、「すべてを捨てる勇気がございますか?」。そのとき初めて、本当の人間になれる契機を得ることでしょう。

人生の目的とは、「最も愛するもの・大切なものを失うこと」にあると思います。つらい?でもいいこともたくさんありますよ。だって愛するものを失わないと、別の愛するものを手に入れられませんからね。人生、常に前向きに生きましょうよ。過去は過去です。明日は明日の風が吹きます。明日の風は暖かくて、いい匂いかもね・・・・私は楽観的すぎるのでしょうか?でも、それもこれも神様を深く信じているからこそ初めてできることでございます。なぜなら根は筆舌に尽くしがたいほど愚鈍で大バカ者の私なのでございますからね。

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2009年1月 3日 (土)

The fine weather holds.....

ひとつの夢紀行が終わります。一番の演出者は快晴の天気だったような気がいたします。こにに滞在中、私の頭上には、いつも雲ひとつない青空がありました。あまりに美しいので、つい写真を撮りました。パチリパチリパチリ・・・ええと、三枚ですか。

三日間、いろいろな新しい発見がありました。でも昔のままの風景、町並み、人との出会いもございました。やはり、なつかしいものでございますね。

かつていつも行っていたある公園は、昔のままの姿を留めておりました。回りの風景や町並みも全く同じです。昔と同じベンチに座り、真っ青な空を見上げると、とてもいい気分になりました。ふと100年後のことを思います。自分はもちろん死んでいます。でも、目の前の景色は残っているような気がいたしました。次に私の好きな人たちのことを思ってみました。その方々もちろん亡くなっておられます。この世における、その人たちとの出会いは、線香花火のときめきのようなものなのでしょうか。たとえ、出会いのときは、「こうしよう、ああしよう」とあれこれ考えたり、悩んだりしたとしましても・・・とすれば、今後の好きな人々との出会いも、どうせなら美しい線香花火でありたいものですね。

・・・などと考えながら、ホテルに戻ると、テレビでピラミッドの話をしておりました。古代エジプトの人々も、来世のことを考えておりまして、ミイラになったようでございます。テレビの中の王様のミイラはやさしい顔をしておりました。

一昨年シドニーに行きました。今となりましては、一番の思い出は美しい空だけのような気もいたします。今回の三日間の夢紀行も、後で思い起こすとき、美しい快晴の空だけが、少なくともメインディッシュとなるような気がいたします。この美しい空、美しい地球の姿は、絶対に続いて欲しいものでございます。そして私たちの後に生まれてくる無数の子孫たちにやさしく愛おしく微笑んで欲しいものです・・・・永遠に、そう、永遠に!The fine weather holds.....幸い、天気予報では今日も快晴のようでございます。よかった・・・

例によって、滞在中は勉強もバッチリいたしました。後は平常心でいつもの日常生活に戻りましょう!・・・最後に、神様に深く深く感謝いたしたいと思います。

(この世を去る前日まで、一生懸命に人を愛し、本を読み、音楽を聴き、好きな勉強をし、仕事をきちんとこなし、与えられた自分の人生を心置きなく心豊かに生きましょう!・・・と考える、根っから愚かな私なのでございます・・・)

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2009年1月 2日 (金)

人生で一番大切なものは・・・

23歳から45歳頃まで柏市に住んでおりました。でも、ここ10年の間、この町は大きく様変わりました。つくばエクスプレス開通により、新駅ができ、また東大キャンパスもできました。

今回の宿泊の目的の主なものは、そういう変化をした柏市を知るためですので、1月1日は、早速それらを見学に行ってきました。

まず、これは私の認識不足かもしれませんが、「柏の葉ららぽーと」のショッピングセンターの大きさに驚きました。施工をした三井不動産の宣伝をするつもりはございませんが、「これはとても便利なものだ」と思いました。あまりにも広い『100円ショップ』がありまして、ここで日用品はたいてい揃います。FANCLという健康食品を売る店では、青汁などを安価で飲めます。健康食材を使ったバイキング店もございまして、バイキング大好きな私は、早速食べてきました・・・とにかく元日にもかかわらず、異常な人の混雑で、三井不動産様初め、各店舗は大喜びだったようにお見受けしました・・・以上が一番目の驚きです。

次に、すばらしい柏の葉公園に行ってまいりました。皆様ご存知のように、ここには柏レイソルが試合をする競技場があります。その他、野球場など、さまざまな体育施設や文化施設、さらには巨大な池があり、池には渡り鳥や鯉がたくさんおりました。動物や鳥の好きな私はすっかりうれしくなりました。多方面の整備のすばらしさは、10年前とはまるで違います。とにかくこの付近のアメニティは最高なのでございます。

公園のすぐそばには、駒場と本郷に続き三番目の東大キャンパスがあります。ここは物性、生命科学、宇宙科学など、最先端の学問をするためのキャンパスです。いかにも土地の余っている柏らしく、広々としておりました。ここで私はベンチに座り、強く思いました。「私の拙論であるフラカン理論を使えば、最先端の学問を容易に解読できるのに!」と。また、できるだけ早くそうなることを強く祈りました。

最寄の柏の葉キャンパス駅から東大キャンパスまでは約2キロ。快晴の空の下、一生懸命歩き、また公園内、ららぽーと内と随分歩き回り、ホテルに戻ったときには、かなり疲れていたのでしょうか?シャワーを浴び、洗濯をしますと、すぐに眠くなり寝てしまいました。転寝をして起きて時計を見たら深夜の1時38分でした。

でもホテルに戻る途中、イトーヨカドーで買い物をした後、不思議な気持ちになりました。そう。「このまま、昔の自宅に帰るような気持ち」が襲ってきました。かつての私の自宅は、弥生町というところにありました。弥生町という地名は日本人には、とても有名です。なぜなら、「弥生式土器」の名前の由来がこの町なのです。イトーヨカドーには、よく自転車で買い物に来ておりました。おそらくは2000回以上、来たかもしれません。「自転車で、あの家に帰る」と思ったとき、43歳当時の自分に戻りました。その頃、私は強い恋をしておりまして、そのことも思い出しました。その女性はすでに結婚していることを思うと、胸が張り避けそうになりました。でも今宿泊しているホテルが近づいたころには、「ああ、あんな強い恋を体験して、本当によかった」と思いました。恋は失ったけれど、ああいう恋を経験する人はなかなかいるものではございません。だから、よかったのです。本当の恋を経験すると、いろいろなことがわかります。たとえば英語で首っ丈のことを「head over heels」と言いますが、なぜこういう表現するのか・・・それがはっきりとわかりました。また『あばたもエクボ』という表現の本当の意味もわかりました。そう。『あばたもエクボ』の真の意味は「恋をすると欠点がよく見える」ではないのです。「欠点があるからこそ、ますますその女性が好きになる」のです(当時の悲しい私はまさにそうでございました)。でも今から思うと、その恋により、口では言えない金鉱を得たように思います。やはり、いかなる恋であれ、恋はしてよかったのです。男にとって女性は偉大なのです。

人の存在意味は、仕事でしょうか恋でしょうか?・・・一般論では、やはり私は恋だと思います。男が一生懸命仕事をするのは、むしろ「いい女性を手に入れるため」なのです。ただし、これは一般論でございまして、現在の私の場合は、一番大切なものは、「フラカン理論と神への愛」です。この私の気持ちを理解してくださる女性はどこに?・・・私は毎日思っおります・・・「愛しているのはわかっているのに、心の糸が結べない・・・」、園まりさんの歌をなまめかしくもゆかしい気持ちで聞いたのは、心が爪先立ちしていた中学一年生のときでございました。日々、自分の愚かさに気づかされる毎日でございます。

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2009年1月 1日 (木)

風の匂いを憶えている

皆様、明けましておめでとうございます。

今、私は旅先におります・・・と言いましても、千葉県柏市ですから、旅とは言えないかもしれません。実は10年前までこの町に住んでおりました。20年以上も暮らしておりました。ですから、余計、旅をしている気持ちは全くございません。

でも正月にここに来てよかったです。なぜなら・・・今は朝の6時頃ですが、昔この町に住んでいた頃のことを思い出し、心がリセットできたような気がしたからです。

町並みなどは所々変わりました。でも昨日の昼に此方のホテルにチェックインし、夕方6時頃、駅前を歩いていると、昔の自分にワープした気持ちになりました。そう。ふと吹いてきた一陣の風が昔と同じ匂いがしたんです。その匂いは鼻腔が感じ取ったものではなく、心のどこかが反応したものなのでしょう。

「風の匂いを憶えていた」・・・一瞬、そんな気がしました。すると、愛しくなりました。その愛しさは、「この町」とか「自己愛」だけに限定されるものではなく・・・もっと広い人類愛とか宇宙とか・・・そういうもっと広いものにつながっているのように思われました。だから、私は足を止め、暗い空を見上げました。そこにも昔見た心象風景が残っておりました。私はなつかしい内在律を聞いたように思いました。

此方に着てからの写真、マイフォトに載せてあります。なぜ載せるかと言いますと、10年前までは、こういうことできなかったですね。こうしてブログを書くこともできなかったですね。ノートパソコン持ち込んで・・・ですから、面白くて、やってみようと思ったのです。でも一人旅行なので、自分で自分の写真を撮るしか仕様がございません。

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