永田寿康氏の自殺について思う
永田寿康氏が自らの尊い命を断たれました。愚かな私には、その理由はわかりません。また一人の人間の死には様々な複雑要因が重なっておりまして、他人の推量を超えるものがあることでしょう。しかし、かくいう私もこれまでの55年の人生、何度も筆舌に尽くしがたい悲しい体験をしておりまして、そのつらい経験から、今回の悲しい自殺について、一言述べる資格と義務があるように思うのです。
永田寿康氏はかつて自殺未遂をなさっておられます。その際、私はエッセーの122番に「元国会議員の自殺未遂」というタイトルで発表させていただきました。下記のURLです。http://www5.ocn.ne.jp/~gobest/mail.html
私は再度読み返します。そして永田氏は「すべてを捨てられなかったんだな」と思いました。そう。自殺とは「人生のすべてを捨てられなかった人がするもの」なのです。
また愚かなる私は今春早々、「この世で最も怖いもの」というエッセーも書きました。141番です(下記URL)。この中で、「この世で一番怖いもののひとつが、過去の自分の成功体験だ」と申しました。多分、永田氏の自殺にも、『過去の燦燦と輝く栄光』が潜んでいたことは間違いないでございましょう。
http://www5.ocn.ne.jp/~gobest/kowai.html
これまでの私の人生、『最も大切なもの』を失い続ける人生でございました。母は4歳のとき失いましたし、多くの最愛の恋人も失いました。大學も退学という形で失い(のち、復学して卒業)、北海道の故郷の町は寂れ果て、東京に出てきてからも住居を建替えのため二度も立ち退きに遭いました。小学生のときは、クラスの皆が聞こえるような大きなオナラをしてしまい、一気に信用を失いました・・・こういう、『最も大切なもの』を失った人間は、間違っても自殺などしないでしょう。なぜなら常に「すべてを捨てられる覚悟ができているから」です。いつもantisuicideのimmune systemがpsychonetworkの中にできあがっているんですね。
もう一度申しましょう。自殺とは「人生のすべてを捨てられなかった人がするもの」なのです。
あなた様は、「すべてを捨てる勇気がございますか?」。そのとき初めて、本当の人間になれる契機を得ることでしょう。
人生の目的とは、「最も愛するもの・大切なものを失うこと」にあると思います。つらい?でもいいこともたくさんありますよ。だって愛するものを失わないと、別の愛するものを手に入れられませんからね。人生、常に前向きに生きましょうよ。過去は過去です。明日は明日の風が吹きます。明日の風は暖かくて、いい匂いかもね・・・・私は楽観的すぎるのでしょうか?でも、それもこれも神様を深く信じているからこそ初めてできることでございます。なぜなら根は筆舌に尽くしがたいほど愚鈍で大バカ者の私なのでございますからね。
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コメント
あなたの言われることにほぼ同意!
安吾「堕落論」とも通底しますね…
投稿: ケン | 2009年1月 5日 (月) 06時55分
永田寿康氏、諦観を持てなかったんでしょうね。
勿論、他の自殺を選択される方々も。
せめて自殺を決断する前に「活かされている命」を愛おしむことが出来れば、と思います。
でも、それすら出来ない程に意識上の視野狭窄に陥っているのでしょうね。
難しい問題です。
自殺は禁断の、許されざる、然し乍ら自由な行為でしょうからね。
投稿: マルコーニ | 2009年3月20日 (金) 18時29分
もちろん、自殺の細部は知る由もないですが・・・
やはり、諦観の一言に尽きるのでしょう。
それにしても、人生、若い頃に成功することは、ある意味で、とても怖いことだと思います。
若い頃の一年は、年取ってからの
3年にも5年にも相当しますから、
そういう成功体験は、
人生の主低音となるのでしょうね。
・・でも乗り切ってほしかったですね。
投稿: 大地一人 | 2009年3月31日 (火) 06時10分