夏目漱石は精神異常であったか?⑯
・・・どうやら、夏目漱石の精神的な異常は、周期的なもので、また家族や女中さん以外には、正常な人だった・・・というのが結論のようでございます。この結論に関しましては、また後ほど述べるといたしましょう。今回は夏目漱石のご性格のうち、面白いものを、他人の書いたものから2,3見てみましょう。
まずは芥川龍之介の書いたものから・・・
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「先生の書斎は先生自慢の一つだつたに拘らず、こんなことがあつた。――ある時、アメリカの女(もう少し尊敬して言へば、御婦人)が二人連名で、先生へ訪問を申し込んだことがある。その女と言ふのは観光団か何かで日本に来たアメリカの文学――文学者とまで行かなくとも詩など好んで読んでゐる女らしく、勿論英語で申込の手紙を先生に寄せたのです。それに対し先生は訪問を断られた。断りの手紙は矢張り英文で認めたのですが小説を一篇書くよりもその方が骨が折れたと申されました。……アメリカの女の訪問を断られたことは如何にも不審に思はれたので、おそるおそる先生に「どうしてまた、アメリカの女が折角会ひたいといふのを、断られたんです」ときくと「夏目漱石ともあらうものが、こんなうすきたない書斎で鼠の小便の下に住んでゐる所を、あいつ等に見せられるか、アメリカに帰つて日本の文学者なんて実に悲惨なものだなんと吹聴されて見ろ、日本の国辱だ」といかつい顔をしました。先生は実にかうした一面が多かつた人であります」
芥川龍之介「漱石先生の話」
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次に、漱石の創作態度について・・・・これは俳句仲間の高浜虚子が書いております。以下の文章は、「吾輩は猫である」を高浜虚子の主催する『ホトトギス』の載せたときの思い出です。
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「それからこの一篇の標題がまだきめてなかつた。「猫伝」としやうか或は冒頭の一句の「吾輩は猫である」といふのをとつてそのまゝ標題としようかどうしたものであらうと私に相談をした。私は無論「吾輩は猫である」の方を取ると云つた。それから漱石に所々に冗文句と思はるゝものがあるのを削りとつても好いかと念を押した。漱石はどうでもしてくれとの事であつた。その席上でも一二の文句は削り去ることを勧めた。漱石は筆を執つてそこを削り去つたと記憶してゐる。
後の漱石は私がさう云ふことを云つても軽々しくは肯じなかつたであらう。殊に虞美人草を書くやうになつてから後の漱石は自分の原稿を消して書きなほすといふやうなこともしなかつた。一旦筆を下した以上は丁度相撲がとり組んだものの様で、もう後には引けぬと云つてゐた。自分でも直すことを肯んじぬ位であるから、まして他人の言を聞いて抹殺するとか改削するとかいふやうなことは容易に承知しなかつたであらう。が始めて猫を書いた時分の漱石はまだそれほどに自信がなかつたので容易に私の云ふ事を聞いた」
高浜虚子「「猫」の頃」
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どうやら、漱石は「ベスト・ガンコ賞」をもらえるほどの、ガンコ一徹なご性格だったようでございます。でも、漱石は困っている人には、暖かい手を差し伸べる方でもありました。
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