赤塚不二夫さんの「ハチャメチャがいいのだ」⑮~最後に~
小学生の頃、初めて『赤塚さんのギャグ漫画』を読んだときのことを今でもハッキリ覚えています。丁度漫画週刊誌が創刊された頃。その前は月刊誌が主流でした。
何て面白いんだろう!すぐにファンになりました。名前もすぐに覚えました。「赤」という字が入っていましたので、子供心に印象が強かったんですね。
以来、ずっと少年時代の私は赤塚さんの漫画を読み続けました。そして大きな快楽を得ました。このことに関し、赤塚さんに深く感謝申し上げたいと思います。
でも今回、赤塚さんの一生を調べますと、面白い漫画の背景には、地獄の体験がいっぱいあり、また素晴らしい芸術(本、音楽)や、ハリウッド映画やフランス映画など、美しいものとの出会いや積極的な摂取がたくさんあったことを知らされます。各界の著名人との幅広いご親交・・・そしてまた普通一般の人々との数え切れない交流。ホームレスの人でさえも、自宅に遊びに来るような融和的なご性格・・・
そしてまた驚くべき行動は山ほどありますね。すでに述べましたが・・・『天才バカボン』をマガジンからサンデーに!ペンネームを山田一郎に!二人の妻の仲のいい交流!・・その他、漫画の内容でも、ありえないことを多数やっておられます。1ページ全体に、登場人部の顔を描いたり!登場人物の動きをスローモーションで描いてみたり・・・・でも、こういう実験や勇気ある行動も、赤塚さんの人生を知ったとき、納得できます。満州での地獄体験。それから大和郡山時代のハチャメチャな2年間の遊び三昧の生活・・・これらの中に超面白ギャグ漫画の源流があったのでしょう。
・・・とすれば、赤塚漫画のファンの少年たちは、赤塚さんの漫画を通して、予想外に、そして間接的にいろいろなものを眺めていたのでしょうか?たとえば満州の夕陽や満州人やロシア人たち、そして戦争時代の地獄・・・さらには戦後の満州および日本の混乱・・・それからお父様やお母様を初めとするさまざまな人々、そういった風景や人間の生き様・・・それらのものを私たち少年は、赤塚さんの漫画の中に、無意識的に感じ取っていたのでしょうか?・・・早い話が、バカボンのパパも、チビ太もハタ坊もニャロメも、モデルがいたわけですね。
と申しましても、私は赤塚さんのすべてを肯定するわけではありません。本文中にも書きましたが、赤塚さんは、してはいけないこともなさいました。
でも、赤塚さんの人生のマイナスは、プラスの中で矮小化されるものと信じています。
とくに・・・「どんな敵同士も、わかりあえる」・・・この精神は実にいいですね!最高の人性論です!
確かに戦争だけはもうこりごり!赤塚さんは、戦争のマイナスを笑いのプラスに変えた方でした。「面白ければ、それでいいのだ!」・・・どうやら、この文のあとに「戦争をするよりは・・」という文が入るのでしょうか。
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