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2009年5月

2009年5月29日 (金)

テレビ今昔物語⑭

以前にも書きましたが、私が高校生から大学に入る前後にかけて、世の中の矛盾がいろいとと噴出し始めたような時期でした。

学生運動やデモ・ストライキなどの労働運動は盛んでしたし、公害問題は次々と告発され始め、また実際に患者さんたちが、苦しまれておりました。

この苦しみは、私自身も感じていましたし、またテレビもその矛盾を現し始めました。当時、私はよくNET(今のテレビ朝日)のモーニングショーを見ていたのですが、その司会者の奈良和さんも、司会者の苦悩を体現してらっしゃるようにお見受けいたしました。私が大学生のときの奈良さんは画面上、明らかにストレスを内在させているような顔をなさっておられました。視聴者にもそれがすぐにわかりました。

奈良さんはとても優しそうな方でした。でも『奈良和モーニングショー』の放映中、ほとんど発言はなさいませんでした。ただサブ司会者の溝口さんなどが、意見を求めると、突然「この問題はですね・・・」と雄弁になり、長々と自分の意見を述べます。大学生の私は「奈良さんは、放送前から、この長いセリフを考えていたんだな」と思いました・・・・奈良さんばかりではありません。テレビワイドーやニュースなどの司会者やアンカーマンたちは、今から考えてみれば、大変な仕事をなさっておられたと思います。多くの方々が病に倒れておられます。

それと言いますのも・・・・現在のワイドショーやニュースには、必ずコメンテーターが存在しますが、当時はそういう存在はいませんでした。ですから、NHK7時のニュースのように、ひたすらニュースを発表するか、またはワイドショーの司会者や民放ニュース番組のアンカーマンのように、すべてを引き受けて、自分中心に一切合財を処理しなければならなかったのです。もちろん、それは難しいので、番組前にいろいろと準備をなさり、またプロデューサーやディレクターの考え・・・CM提供者の希望思惑も取り入れるのでしたが、それは大変なことでしたでしょう・・・しかも休みを取ることもままならず・・・とにかく大変な重労働だったと、心より同情いたします。

当時のことを奈良さんは後日「あのころは、ストレスがひどくて、正常ではなかった。食べてストレスを発散しようとして、ひどく太った」などと述懐しておられます。

現在、私がワイドショーやニュースを見るとき、「今の司会者はずいぶん楽だな」とつくづく思います。問題点があれば、コメンテーターの方を向いて、「これについては、どう思いますか?」と質問すればいいんですから。自分の発言に責任を持たなくいていい・・・というのは、とにかく楽なんですね。

でも現在のような形になったのは、先人たちのおかげ。私たちは、先人たちのご苦労に、心より感謝せねばならないと思います。また物故された方たちのご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

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2009年5月26日 (火)

テレビ今昔物語⑬

このブログを読んでくださっている方は疑問を呈する方がいらっしゃるかもしれません。タイトルは「テレビ今昔物語」。なのに、個人的なことや大学教育批判をしすぎているのではないかと・・・しかし、視点を少し広げてください。そうすれば、私が大学教育に感じた疑問は、そのままテレビ番組への批判に繋がることに気づいていただけると思います。

思えば、私の高校時代までは、テレビをほぼ無批判に受け入れていました。しかし・・・たとえば、『レコード大賞』の選考ひとつ取っても、その前後から、「どうも、これはおかしいんではないか?」と感じ始めました。どう考えても下手な歌手が、受賞している・・・・そしてまた、当時私はワイドショー(当時は、朝はモーニングショー、昼はワイドショーとかアフタヌーンショーなどと読んでいましたが)・・・・に対する疑問も感じ始めました。これに関しては後に詳しく記しますが、考えてみれば、民放は企業からのCM料で経営が成り立っているわけですから、中立でないのは明らかです。またNHKだって、当時郵政省(現在総務省)の管轄下に存在しているわけですから、これまた政権政党の影響を受けるのは当然です。また国民から、受信料をもらっている以上、視聴率を稼がねばならず、大相撲の八百長疑惑などにも、「臭いものにフタ」をしなければならないのも、(私はあまり賛成はしませんが)仕方のない部分もあるでしょう・・・・というわけで、私は今後、テレビ批判、大学教育批判・・・そして私個人の考えを、いっしょに述べてゆきたいと思います。かと申しましても、もちろんテレビの存在自体を否定するわけではありません。誰もが感じている素朴な疑問を、文章という形にして、『いっしょに考えてみましょう』という趣旨なのですから、お気楽にお付き合いくださいませ。

ただし私も一応常識人。ですから、「救いようのない議論」はいたしません。たとえば「なぜテレビは馬鹿げたバライティ番組ばかりやっているんだ?」という知識人の非難は、40年前からやっているわけで、それに対しては「国民が望むから」という答えが一番正しいのであって、こんな批判はあまりしたくありません。もっと実りある未来ある議論をごいっしょに考えたいと思っております。

そしてまた、私が大学教育に感じた疑問・・・その疑問のために、東京大学を自主退学した経緯(実際は復学して卒業)・・・これなどについても述べさせていただきたいと思います。

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2009年5月24日 (日)

テレビ今昔物語⑫

一昨日でしたか・・・中央大学教授殺害事件、工学部出身の容疑者が逮捕されました。

それから、しばらく前に、コンピューターのプログラマーの女性殺害事件もありましたね。

それから、厚生省の元事務次官殺害事件。容疑者は国立大学の理工学部中退でした。

秋葉原事件。あの事件も、容疑者は理系の人(自動車関係の短期大学出身)でしたね。

そしてオウム真理教事件・・・この実行者たちも同じでした。彼らは優秀な大学院の理系(化学系学科や医学部など)の学生であり、そのうち何人かが逮捕され死刑判決を受けております。

・・・このような事件を耳にする度に、私は思います。『学生は大学の理工学部で、物事の法則とか原理を学ぶ。それはいいけれど、それらの法則を動かすには、健全な動機が必要だ。たとえて言えば、正しい人間愛が存在していなければならない。そうでないと、とんでもないことになる。一つの発見は、社会破滅にもつながるだろう』と。私は理系で学んだので、そういうことはとてもよくわかるのです。そして上記した人々は、そういう人間愛が欠けていた・・・そういう例なのでございましょう。

しかも人間愛と言っても、「個人の善意」じゃダメなんですね。なぜかと言うと、「個人の善意」で「素晴らしい機械」の発明をしても、社会が悪ければダメ。それは殺人兵器として使われることでしょう。ライト兄弟がそうでしたね。ライト兄弟は「飛行機を作れば、世界平和が訪れる」と考えました。なぜなら「戦争とは、民族や国家間の主として文化的価値観の齟齬や誤解によって起こる。飛行機により、互いが理解し合えば、誤解は解消され、真の平和が訪れるはずだ」・・・しかしライト兄弟の思惑は逆でした。ご存知のように、飛行機により、戦争は悲惨なものになり、原爆だって落とされたわけです。

悲しいことに、現在の大学では、人間的な教育はほとんどなされていません。

特に理系の学部は完全な知育偏重であり、詰め込み教育の世界と言っていいでしょう。これじゃ、冒頭で述べたような事件がこれからも起こったとしても、何ら不思議ではございません。

私は工学部で、友人などに人生論などをしようとしました。しかし友人たちは、そんな私を全く相手にしませんでした。そんなことより、大学院の試験に受かることや、自分の属しているクラブのこと、合コンのこと、そして就職のこと・・・そういうことで、頭がいっぱいでした。教授、助教授、助手たちも、同じでした。彼らは人生論の全く似合わない人たちでした・・・・かくして学生時代の私の心は、いつも満たされませんでした。

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2009年5月21日 (木)

テレビ今昔物語⑪

私の両親は、私が4歳のとき離婚。私はそのとき母と別れました。

ところが大学に入学した途端、ある知人が「実は・・・あなたのお母さんは・・・」ということで、母のことを細かに話してくださいました。住所や電話番号も教えてもらいました。その後、私の方から手紙を書き、母との文通が始まりました。

文通をして4ヵ月後、私は帰省をしました。そのとき、途中の町に母の家がありましたので、私はその町の駅で途中下車をし、母に電話をしました。それで駅で再会といういうことになりました。

私は案外冷静でした。でも母はかなり興奮しておりました。涙などを流しておりました。この再会は私の人生の中では、やはり大きな出来事でした。

その後の人生にも、大きな影響を与えた思います・・・・まず自分が置かれた立場というものがわかり、その結果「自分がしっかりしないといけない」という気持ちになりました。この気持ちの延長線上に、自分の人生の意味とか・・・社会に対して果たす役割なども考えてみました。

すると、いろいろ疑問が沸いて来ました。

まず確かなことは、大学入学前に、大学に期待してものが、果たされなかったということでした。これにつきましては、少々長くなりますので、次回に述べさせていただきたいと思います。

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2009年5月19日 (火)

テレビ今昔物語⑩

話は横道にそれましたので、一時軌道修正をしておきましょう。

私が大学生の頃のテレビ番組は、まずボーリングが一大ブームでありまして、毎日のようにボーリングの番組があったように記憶しております。また、なぜかお色気番組がかなりございまして、深夜番組にたくさん見られたばかりではなく、「芸能人水泳大会」とか、「芸能界運動会」などで、意味なくお色気を放映しておりました。女性アイドル歌手は、水着のままで、歌を歌ったりしておりました。流行歌も『恍惚のブルース』ですからね。私は子供心に、「日本はどうなっちゃうんだろう?」と思っておりました。

またお笑いに関してましては、動きのある笑いが全盛期でした。ドリフターズにせよ、コント55号などにせよ、舞台を動き回って、笑いを取っておりました。

学生運動は峠を越し、私が18歳のとき(予備校時代)に起きた連合赤軍事件は、視聴率80%前後であり、民放もコマーシャル抜きで放映しておりました。

私が大学に入学した昭和47年は、とんでもない年でありまして、連合赤軍事件ばかりでなく、元日本兵横井庄一さんがグアムから戻り、川端康成さんが自殺、テルアビブ銃乱射事件、ミュンヘンオリンピックのテロ、田中角栄さんの首相就任、沖縄返還・・・実にいろいろなことがあったものでした。

そんな中、私の身にも大事件が起きていました。4歳のとき別れた実母と15年ぶりに再会したのでした。

これにつきましては次回に述べさせていただきたいと思います。

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2009年5月18日 (月)

テレビ今昔物語⑨~なぜ、わざわざ勉強をするのか?~

「皆様はなぜ学校に行き、勉強するんでしょうか?」・・・考えたこと、ございますか?

義務だから?知識を身につけるため?人間的に成長するため?学歴のため?面白いから?先生になるため?真理を極めたいから?・・・なんとなく?〔男性なら〕女性にもてたいから?〔女性なら〕いい結婚をするため?友達を得るため?友達が行くから?いい師と出会うため?スポーツ選手として活躍したいから?まともな社会人として活躍したいから?自己実現のため?・・・・いろいろな理由が考えられるものです。

そして実際は、上記したもののほとんどが、正しいのでしょう。ただ個人個人によって、比重の分散具合が違うだけなのでしょう。

ちなみに私の場合は、「真理を極めたい」というのが、他の方に比べ、大きかったように思います。私は欠点だらけの人間です。行動力はないし、指導力もない。弁舌も下手くそだし、友人とワイワイ騒いで、それを形にしていく・・・なんて能力もありません。営業能力や説得能力もござません。

こういう人間が、もしも社会にお役立てするとすれば、その方法は、一人で本当の真理を見つけ、それを社会的に有用な形に具現化する・・・子供の頃から、これしかないと思っていました。

それで東京大学に入学したのですが、私はここに本当の真理を見つけることができませんでした。それはなぜなのでしょうか?・・・当時は、よくわからなかったんですが、今ならはっきりとわかります。

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2009年5月15日 (金)

テレビ今昔物語⑧

前回は、最後に「あの頃はちょっとひどかった」と申しましたが、それは主として、公害問題のことを指しております。

私は18歳で上京しました。この前後から、全国的に公害問題・・・そして開発による環境破壊が問題になったのでした。イタイイタイ病・・・水俣病・・・四日市ぜんそく、川崎ぜんそく・・・東京でも、大気汚染が問題になり、光化学スモッグなどの用語が新聞をにぎわせる頃でした。私の近所の杉並区の神田川も、悪臭漂い、魚など棲める川ではありませんでした。

これは世界的なものでございまして、環境破壊と大気汚染は、世界の人々を苦しめ始めたのでした。そうなると、「科学主義バンザイ」という、これまでの流れが一変いたしまして、「日本を、世界を何とかしよう」という運動が高まり・・・私の母校東大でも、宇井純助手などが、環境問題をいろいろな分野から提起するようになったのでした。

・・・こうして、テレビが指導してきた「楽観的科学主義」は、修正を迫られたのでした。このときはまだベトナム戦争も続いておりました。学生運動も盛んでした。でも私は愚かなりに、自分の進んで進路に、疑問を感じ始めたのでした。人間と言いますのは、自分の進路に疑問を持つことは不幸を意味します。私もこの頃、不幸でした。だって東大を退学したんですから。

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2009年5月12日 (火)

テレビ今昔物語⑦

悲劇を味わったのは、私ばかりではありませんでした。私の同級生でも、理科系に入学してから、文系に転部した人もいますし、またものすごく文系の才能のある人が、理科系〔物理学科〕に進んだりし、その人は卒業後、銀行員になっております。

私の場合は、結局工学部を卒業してから、独学で哲学や宗教学をマスターし、フラカン理論という理科系文科系をすべて統一する理論を、40年くらいの年月をかけて完成させることができました・・・ま、終わりよければ、すべてよし・・・ということで、評価してくださればうれしく思います。

でも、考えてみれば、私は独学で、哲学の主な思想は、本を読んでほとんどマスターしましたし、宗教もイスラム・キリスト・仏教・・・と、すべて信じてきた歴史があるわけですから、かなり筋金入りなのでございます。言うまでもなく、専門学科で数年学んだ哲学科の学生たちなどとは、雲泥の差と申せましょう。

時代も、転換期でしたね。

ああ、あの頃はちょっとひどかったですね・・・・

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2009年5月10日 (日)

テレビ今昔物語⑥

前回は科学主義によって、少年の私が不幸になったという話を書きました。

その理由は・・・学校の先生たちが私に向かって「君は成績がいいから、理科系に進みなさい」と半ば、強制的に私を指嗾したことでした。指嗾という言い方が悪ければ、熱心に勧めた・・・というところでしょうか?・・そうなのです。先生たちも、おしなべて「科学主義」の信奉者なのでした。「テレビに代表される科学技術の進歩こそが、人類に確実な幸福をもたらす」・・・ほとんどの方が、こう考えておられたのでした。

かくいう私は学校時代の成績は、自慢するつもりはありませんが、中学のときは「オール5」(ただし田舎中学)。高校のときも、学年で10番以内に入っておりました。つまり「一応何でもできた子(ただし体育はそれほど得意ではない」でした。

このような生徒は、私の他にも多数おりましたが、皆全員と言っていいくらい、理科系にほぼ強制的に進学したのでありました。

あとで考えると、これはかなりの悲劇でした・・・なぜなら科学技術と言いますのは、料理で言えば「器」。「器」がいくら立派でも、肝心な味がおいしくないと、その料理はブタの餌にしかならないでしょう・・・このことに気づいたのが、大学で理科系の勉強をしているとき。

『そうだ、自分は、文科系に行くべきだったんだ。兵器開発が進んでも、抑止力どころか、戦争が頻発するだけじゃないか』・・・まさに、「遅かりし、由良之助」の心境でございました。

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2009年5月 9日 (土)

テレビ今昔物語⑤

私は思います。

テレビは人類の歴史の中でも、最も刺激的な発明品だったと。

なにしろ、遠くで起こっていることを、同時に見ることができるわけです。こんなこと、それまでの人類は考えもしなかったわけで、人々が興奮するのは当然でございます。

こんなテレビは、日本では、丁度私が生まれた昭和28年に放送開始。つまり私はテレビ放送とともに生まれたと申しても過言ではござまいせん。

ところで、このようなテレビは科学技術の勝利であり、また他の産業や技術に与える影響は多大なものがありまして、たとえば、冷蔵庫が普及しましたのも、テレビを見ながらビールを飲みたい・・・という欲求に沿ったものだったと聞いたことがございます。

かくして科学技術をリードしてきたテレビ・・・実際に個々のテレビ番組自体の中にも、その技術を遺憾なく発揮しておりました。

たとえば私が中学生のときのNHKの子供番組『四つの目』。この番組の中では、詳しい名称は忘れましたが『拡大の目』『縮小の目』『早送りの目』『スローモーションの目』という4つのカメラ技術の目で、物事を解析しようという番組でございました。これなどはまさに子供の心に科学する心を植えつける格好の番組だったでありましょう。

他方、数あるテレビ番組の中には、オカルト的番組も多数ございました。『UFO追跡シリーズ』や『ユリゲラーの超能力話』・・・またドラマでは『タイムトンネル』や『不思議な少年』などという興味深い番組もありました。前者のドラマは、「タイムトンネルで、過去の世界を探訪する」という番組でしたし、後者は「サブタン」という名の少年が、時間の動きを止める・・・という途方もない設定でございましたが、私などは夢中になって見たものでございました。

また『少年ジェット』などというドラマにおいては、ジェットという少年が「ウーヤーター」と叫ぶと、大地震が起こるというハチャメチャな内容でしたが、これも私の最も好きな番組の一つだったのでございます。

西洋においても、科学主義の黎明期において、科学とオカルトは同根だったという説が有力です。ニュートンは錬金術に夢中でした。また占星術に心酔していた科学者も多くおりました。

いずれにせよ、オカルト的なものも含めて、社会全体の中に「科学技術」を謳歌する風潮が蔓延していたのでございます。

しかし、この風潮のせいで、不幸になった子供もおりました。

それが他ならぬ私なのでございました。

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2009年5月 8日 (金)

テレビ今昔物語④

私の子供の頃、すなわち1960年代は、テレビは希望に溢れていました。今の方には、信じられないかもしれませんが、当時の子供たちは皆「21世紀になると、自分たちは宇宙旅行に行けるんだ」と真面目に思っておりました。

なぜかと言いますと、テレビ番組の中でも、そういう話題は繁雑に存在したからです。『宇宙家族』というテレビ漫画は、21世紀の宇宙生活を想像させました。NHKでは何と『銀河少年隊長ロップ』という番組をやっておりました。これは、ロップという少年が、宇宙を舞台に大活躍するという何とも勇ましい番組でした。その他、『鉄腕アトム』などにも宇宙ステーションが登場しました。アメリカでも『スタートレック』という長寿番組があり、いかにも世界全体が「宇宙への扉を今まさに開いている」という感じがしました。そう。NHKのあるテレビドラマの主題歌の中にもありました。「21世紀は宇宙扉・・・」と声高らかに歌っていたのでありました。

実際、現実の世界でも、そういう状況でございました。ソ連とアメリカが宇宙開発ごっこ・・をやっておりまして、ソ連ではガガーリン少佐やテレシコワさんの乗った人工衛星が地球を一周・・・アメリカではアポロ11号の月面着陸・・・こういうニュースを耳目に接すると、否が応でも少年たちの目は宇宙に向けられたのでした。ですから「21世紀になると、すぐにでも自分たちは宇宙旅行に行けるんだ。大人になれば、自分たちは宇宙へ行けるんだ!」と真面目に思っていたのでございました。

テレビの力、恐るべし・・・ですね。

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2009年5月 6日 (水)

テレビ今昔物語③

私の子供の頃(昭和30-40年代・・・1960年代)、子供向け番組が多数ございました。

NHKなどでは、私の小中学生の頃、夕方5~7時までは、ほぼ子供の番組でした。「子供ニュース」という番組もありました。そう、ニュースも子供用だったのです。

5時45分からは・・・とてもなつかしいのですが・・・名作『ひょっこりひょうたん島』という人形劇の番組がありました。これは、5年くらいやっておりました。作者は井上ひさしさんと山元護久さん・・・声優陣がものすごくて、もうここではで書き切れないほど、錚々たる実力者ぞろいでした。昔の子供番組は、皆が一生懸命に製作していたんですね。

6時からは毎日、曜日ごとに変わる子供向けの連続ドラマ。対象は小中学生でした。このドラマの中には沢村栄治物語とか緒方洪庵物語などがあり、少年の私はいろいろなことを学びました。

民放でも、夕方は子供向け番組を盛んにやっておりました。

ところが・・・私が大学生あたりになると、徐々になくなり、そのうち一部を除き皆無になりました・・・今はほとんどどの局も5~7時台は、ニュースをやっております。

「子供向け番組がもっとあってもいいんじゃないかな?」・・・今の私はこう思います。しかし今のテレビ業界自体が経営状態が悪化。その他、少子化の波もあり、視聴率の取れない番組は、どんどん消えていくのでしょうか?

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2009年5月 4日 (月)

テレビ今昔物語②

テレビはやっぱりすごいって思います。

私の少年時代を、ある日、がらりと変えましたから。小学3年生のとき、我が家にテレビがやってきました。それまでは近所の資産家の家に皆が、大挙して見に行きました。そこの家は美容院でして、とても繁盛していました。テレビを買うお金があったんですね。しかも見に行くのは、近所のお得意様。先方様としましては、断るわけにもいかず・・・でも田舎の美容院と言いますのは、夜遅くまでやっていました。ですから、そこの経営者も、自分の家のお茶の間は、美容室の延長と思っていたのではないでしょうか?

そこで見たのは、アメリカのドラマが多かったですね。『ローンレンジャー』、『ローハイド』、『ララミー牧場』・・・こういうアメリカのドラマを、日本人はある時期、ゴールデンタイムで一生懸命見ていたのです。その他、『ライフルマン』とか『ママは太陽』とか『サンセット77』とか『ベンケーシー』など、今でも題名がすらすら出てくるということは、よっぽど一生懸命見ていたのだと思います。そう。日本人は皆、アメリカのドラマを見ていたのです。そして皆、アメリカ文化に憧れていたのです。

映画でもそうでございまして、ハリウッドの『駅馬車』『シェーン』『真昼の決闘』『OK牧場の決闘』などに、日本人は夢中になったのでした。

NHKの『みんなの歌」、ご存知でしょう。これなども、一時期必ずと言っていいほど、『外国の民謡』だらけでした。『おお牧場はみどり』『ピクニック』『おおブレネリ』『ウォルチングマチルダ』などは、ヨーロッパ民謡(オーストラリア含む)でして、このときに日本の子供たちに知られるようになったと記憶しております。

このことを、ある人に話しましたら、その方はテレビ局の方で、その人の話によりますと、こういう話でしたー「そういう番組を放映したのは、政府関係からの要請のようなものがあった」ということです。つまり当時の日本大衆に、「アメリカ文化」や「ヨーロッパ文化」を知らしめるために、そういう番組をゴールデンタイムで、あえて放映したということでございます。

つまりテレビはいつの時代も、「何よりの啓蒙手段」だったんですね。そして、それはかつて大きな効果を収めました(おそるべし、テレビ!・・・ただし、その影響力は、最近かなり薄れてきているのは事実でしょう)。

そして、このテレビの啓蒙運動で、一番得をしたのが、若い女性だったような気がいたします。だって、戦後女性は強くなりましたから!・・・でも、それでよかったのだと思います。女性が不幸な社会は不健全ですからね。

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2009年5月 2日 (土)

テレビ今昔物語①

私は最近、ほとんどテレビを見ておりません。なぜ?・・・多分、「一方通行」が厭になった部分もあると思います。そして、別の理由としましては、インターネットのサイトで、テレビより面白い番組がいろいろあります。その他、DVDやビデオやゲームソフトもありますし、今の時代は多様ですね・・・他には、仕事が忙しいという理由もございます。

正直、今の私はテレビを見るくらいなら、SNSをやっていた方がいい・・・こう思っております。SNSは「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」と言いまして、このクラブに入りますと、会員は多種多様な他の会員の皆様と、意見の交換ができます。もちろん、自分の作品(文章や写真)も発表できますので、「自己実現と世間話」が両方できるわけです。その他、他の会員の皆様の作品も、とても興味深いですね。かくして「SNSは、テレビより、面白い」ということになります。

でも、これはやむをえない現象だと思っております。要するに人間の交流は、「両方通行」でないとダメだ・・・ということなのでしょう。かつてカラオケの流行とともに、音楽業界が様変わりしたように・・・これからは、SNS、インターネットにより、テレビのあり方もどんどん変わってゆく・・・ということなのでございましょう(テレビ業界、がんばれ!)。

・・・でも、私は少年時代からテレビをずっと見ておりました。テレビにはずいぶんとお世話になりました・・・・そこで、今回のシリーズは、テレビ今昔物語・・・・過去のテレビの功罪について、いろいろ考えてみたいと思います。よろしくお付き合いくださいませ。

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