テレビ今昔物語⑧
前回は、最後に「あの頃はちょっとひどかった」と申しましたが、それは主として、公害問題のことを指しております。
私は18歳で上京しました。この前後から、全国的に公害問題・・・そして開発による環境破壊が問題になったのでした。イタイイタイ病・・・水俣病・・・四日市ぜんそく、川崎ぜんそく・・・東京でも、大気汚染が問題になり、光化学スモッグなどの用語が新聞をにぎわせる頃でした。私の近所の杉並区の神田川も、悪臭漂い、魚など棲める川ではありませんでした。
これは世界的なものでございまして、環境破壊と大気汚染は、世界の人々を苦しめ始めたのでした。そうなると、「科学主義バンザイ」という、これまでの流れが一変いたしまして、「日本を、世界を何とかしよう」という運動が高まり・・・私の母校東大でも、宇井純助手などが、環境問題をいろいろな分野から提起するようになったのでした。
・・・こうして、テレビが指導してきた「楽観的科学主義」は、修正を迫られたのでした。このときはまだベトナム戦争も続いておりました。学生運動も盛んでした。でも私は愚かなりに、自分の進んで進路に、疑問を感じ始めたのでした。人間と言いますのは、自分の進路に疑問を持つことは不幸を意味します。私もこの頃、不幸でした。だって東大を退学したんですから。
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