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2009年6月

2009年6月30日 (火)

テレビ今昔物語23

ひきつづき、現在の大学に対する批判を、私のエッセーより引用し、述べさせていただきたいと思います。

「・・・他方、確かに東京大学で教える学問はかなり社会に役に立ってはおります。ですが、逆に今の物理学では結局戦争兵器の開発につながり、現在の経済学では金権主義を生み出し、いくら法律学を教えても、犯罪は全然減っておりません。人生の意味や来世のことや肉体的苦痛を和らげる方法を教えませんから、自殺者はどんどん増えております。これが悲しい日本の現状です。仏作って魂入れずとはこのことではないでしょうか?

 すぐにとは申しませんが、これまで私が述べた学問を取り入れれば、東京大学も、もっと素晴らしい大学になるでしょう。今は不十分という気がいたします。ちなみにこのレベルの低さに耐え切れず、私は一度東京大学を自主退学しております。その後、「でも、自分の力で学習しよう」と思い直し、復学いたしました(こういう無法千万なことをしたのは、聞けば東大の長い歴史の中で私一人だそうでございます)。

東大卒業後は一貫して独学を続けております。そして先に述べた疑問の中核に答えるフラカン理論を作り出しました。この拙論はオカルト現象さえきちんと説明できるものでございます。

さらに、生来愚かなる私は、先に述べた栄養学や健康料理学からペット学に至るまでの学問も自分で学びました。その他、数学を学ぶよりも音楽の方が意味があると思いましたから作曲法も学びました。ですから、この文章の訴えは、ちょっと大げさに言えば、私の生命を賭けた訴えなのでございます」

・・・・私の学問統一理論は、
http://www5.ocn.ne.jp/~gobest/fractal1000.pdf

で見ることができます。よろしければ、拙論、ご覧くださいませ。

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2009年6月25日 (木)

テレビ今昔物語22

現代の大学批判・・・今回は、「将来の大学像」を具体的に示させていただきたいと思います。引き続き、私の拙エッセーからの引用です。

「・・・・とここで、こういう反論をする人もいるでしょうか?

「でも東京大学は、現状でも、社会の有益性には十分貢献しているよ」と。ある意味で、それは確かでしょう。間違いないでしょう。

しかし見方を変えれば、これも少々疑問です。正直申せば、私自身はこれも50%くらいの満足しかしておりません。

なぜ?・・・これも具体例を挙げさせてください。人間が生きるためには、一番大切なものの一つが健康です。そして、とりわけ食べ物です。しかも、この学問はきちんと存在します。栄養学です。また体の働きに関しては解剖学や生理学や免疫学です。私はこの栄養学、解剖学、生理学、免疫学などを、数学や物理以上に、基礎教養科目としてきちんと教えるべきだと思います。すると、より多くの人々が糖尿病や腎臓病や自己免疫疾患などにも罹らず、健康で幸福な一生を送ることができるでしょう。

その他、健康な心の分野を扱う精神衛生学や実践癒し学(例えば、音楽療法、アロマテレピーなどを教える)も必要ですね。これも、法律学や社会学以上に、きちんと教えるべきでしょう。するとうつ病やノイイローゼも減り、社会から精神疾患による犯罪も激減することでしょう。さらには人間関係も良くなり、人生の意味も見つけられることでしょう。

さらには、数学や物理以上に大切な学問は、結構いろいろとございます。

・・・・結婚学、恋愛学、人間関係論、海外旅行論、健康料理学、介護論、野外生活論(具体的にはキャンプなどの仕方)、投資学、名曲論、苦痛回避論(モルヒネなど肉体的苦痛を和らげる方法を教える)、植物育成論、その他ペット学なども今風でいいじゃありませんか。かわいいペットを飼えば、個人は幸福になるし、社会も平和になります。併せて結婚学や恋愛学を教えれば、失恋自殺なども激減することでしょう。さらには妊娠中絶も少なくなることでしょう。あるデータですが・・・アメリカの少年院で犯罪少年にペットの世話をさせたら、再犯率がゼロに近づいたというデータもございます。50%あったものが、ゼロに近づいたのであります。ペットの効用は計り知れません」

・・・次回に引き続きます・・・・

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2009年6月23日 (火)

テレビ今昔物語21

現在の大学学問への批判の続きです。

「このように学問全体を広い視野から見てみますと、やはり東京大学は、真実を知ろうとする態度において、あまりに消極的であり、その点ではレベルが低い大学だと言わざるをえません。

とりわけ私が東京大学に不満をぶつけるのは、人々が関心のある疑問ほど、逆に学習する態度を拒否していることでございます。逆に、相対的にどうでもいい学問の研究は盛んです・・・例えば、ある作家の私生活の研究とか、どうでもいい哲学論文についての研究、こまごまとした史実の探求など・・・そういうものはたとえ成果が得られたとしても、大局的に見れば、どうでもいいことですし、一般市民も何の関心ももたないものでございます(そんなことよりも、実際問題、毎年日本で3万人以上の方々が自殺なさっておられます。また介護問題で苦しんでらっしゃる方は無数におられます。こういう方々を救うことに税金を使う方が、よっぽど大切な事ではないでしょうか?)

・・・ところが、死後の世界のこと、生命エネルギーのこと、テレパシーなど精神パワーに関するのこと、地球以外の生物のこと、宇宙や素粒子に関する根源的な疑問、言語・記憶・現象(特に社会現象)のメカニズムの研究・・こういうことは、ほとんどの人が関心のあることなのです。ですから、たとえ中途半端なことでも、わからないなりに、きちんと教えることが、真に学問する者の態度であり、その態度は人々の幸福と満足にダイレクトにつながると思うのでございます。

別に「宇宙はこうなっている」と断定しなくてもいいのです。「死後の世界はこうだ」と決め付けることなどしなくていいのです。ただ、「こういう事実が存在する」という真実を淡々と教えるべきなのです。あるいは「この理論は、矛盾なく、すべてを説明できる」というように、いろいろな理論を紹介し提示すべきなのです。

このような「真実を追及する態度」を頭から否定するならば、逆に反動として、オウム真理教事件のような、まるでオカルト的なカルト教団が生まれるわけでございます。また死生観をきちんと教えないと、今後とも自殺者の数が減ることは難しいでございましょう」

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2009年6月19日 (金)

テレビ今昔物語⑳

前回に引き続き、私のエッセーからの引用です。現在の学問についての疑問を述べております。今回は、さらに、これからの大学学問のあるべき姿も、少しだけ述べています。この「大学学問のあるべき姿」は、次回以降で、詳しく述べたいと思います。それは人類の幸福に繋がるものであり、また学生たちが意欲をもって学べ、学生たちの人生に寄与する学問となることでしょう。

「つまり私の申し上げたいことは・・・・

真実のオカルトは、その有用性に鑑みて、大学授業の中に一部分取り入れる方が人間全体の幸福につながると申しているのです(本当はオカルトというよりも、サイ科学と呼ぶべきですが)。

もっと正確に言うと・・・・                                       確かにオカルトの中にはニセモノも山ほどあります。胡散臭いものもたくさんあります。ですが、オカルトだからと言って、頭から拒否するのではなく、どんなことであれ、(必修科目ではなく、自由選択科目でもいいですから)人生全体や、日々の生活に役に立つものがあれば、その真実の一部を淡々と教え、また学生にオカルトへの免疫を与えておけば、逆に霊感商法とかニセ占い師とかカルト宗教などの害毒を飲まずに済むのではないでしょうか?

また人々は「オカルトは100%信じるのは間違っているけれど、有用性のある場合がある」という可否の線引きができるようになるのではないでしょうか?・・・と申し上げたいのでございます。そして実際にロシアや中国やその他一部の国々の大学ではそうしております。

 このようなことを言いますと、ある学者は言うかもしれませんー「理性の限界はイマニエル・カントが『純粋理性批判』で示している。我々は、カントの示した理性の範囲内で学問を遂行すればいいのさ」と。しかし、これはとんでもないウソでございます。カントは古典物理学こそが物理学のすべてであると信じていた人であり、物質の不透過性を初めとする古典物理学的な物質観念を信じ切っておられた方です。

ところが二十世紀に生まれた量子力学においては、どうでしょうか?

量子力学においては・・・・・                                     微細粒子が同時にいろいろなところに存在したり、波動的性質を持っていたり、透明人間のように消えたり現れたりする・・と言った正にオカルト現象が起こっているのでございます。ですからカントの純粋理性批判は、二十世紀には、すべてとは言いませんが、相当意味を成さないものになっております。つまりカント流の学問探求法では、もはや真理を得ることはできないわけでございます」

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2009年6月15日 (月)

テレビ今昔物語⑲

前回に引き続き、私のエッセーからの引用です。現在の学問についての疑問を述べております。

「・・・・こうしてみると、数学も物理も含めて、世の中には、「間違いなく○○だ」と言うことはひとつも存在しないのでございます。
 とすれば、「再現性の低いこと」でも、社会的に有益なことであれば、どんどん学問として成立させるべきなのです。もちろん、実際はある程度までそうなっておりまして、天気予報の的中率は80%くらいでも、気象学という学問は存在しますし、経済学の法則はしばしばあまり当てにならないにも関わらず、もっともらしい『**の経済法則』と名の付いたものは山ほどございます。これは経済学の教授が一番ご存知のはずでございましょう。長年優れた理論と思われてきたケインズ理論だって、最近になって成り立たないケースがたくさん出ております。
 このように述べると、「ひょっとして、おまえはオカルトを学問に取り入れるのか!オカルトなんて取り入れたら、学問もおしまいだ!」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。でも考えてみてください。たとえば、キルリアン写真・・・これは、明確な実験の末、人間の体からは生命エネルギーが発していることが証明されております。その他、ニワトリはカリウムをカルシウムに変える「常温核融合」の仕組みを体内に持っております。こういう事実は、まさに100%実験で確かめられているにも関わらず、東京大学はその多くを否定しようとしているのでございます。前世の存在にしても、チベットではダライラマは、前世からの生まれ変わりの思想に基づいて選んでいるわけであり、これを否定することは、チベットという国の体制や文化そのものを否定することになります。私の好きな仏教経典である『法華経』などもまさにオカルトの世界であり、仏たちが雲に乗って現れたり、急にそこら中に美しい花が出現したり、仏が宇宙全体を見透したり・・・というオカルトのオンパレードなのでございます。もしこれを否定するとなると、日蓮系の宗教はすべて否定しなければならなくなります。またUFOの出現は何度も目撃され、すでに否定しようもないほどに証明されております(ただし、中には胡散臭いものも多数ございますが)。その他、占星学はヨーロッパの歴史の中では、長らく学問の中心に存在したものでございます(ただし、これにも怪しいものは多く、また100%信じるのは逆に間違っていると思います)」

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2009年6月12日 (金)

テレビ今昔物語⑱

現在の大学教育についての疑問・・・これを「現在の学問自体への疑問」も含めて、記したいと思います。

引き続き、私のエッセーからの引用です。

「・・・ところで、東京大学に限らず、現代の科学者(特に自然科学者)の基本態度は二つございます。一つは「科学とは再現性のあるものだ」ということです。もうひとつは「科学とは社会への有益性に資するものだ」ということです。
 それでは、まず前者についてご一緒に考えてみませんか?
 世間の勝負事を見てみましょう。すると、将棋の名人にしても、勝率は7割です。10回のうち3度は負けます。大横綱も勝率は8割。10回のうち2回は負けます。プロ野球のバッターはもっとひどくて、名選手でも3割しか成功しないのです。
 私が何を申したいかと言いますと、「世の中のほとんどの現象・・・特に人間活動においては、厳密な再現性とは無縁の世界だ」ということでございます。
 すると「いや数学はいつも1+1=2」だと言うでしょう。しかし、これはペアノの公理という条件下に初めて成り立つわけであり、現実の世界では、一杯目のビールは二杯目よりもおいしいし、ビタミンAとビタミンCを足せば、1+1=2どころか、1+1=5くらいの相乗効果がございます。逆に、犬猿の仲の二人が一緒に仕事すれば、すべてがぶち壊し・・・かえってマイナスの効果になることもあるでしょう。
 また私への反論者は「いや、重力の法則を初め、物理法則はいつも成り立つ」と言うでしょう。ですが、これも大いに疑問です。例えば微細粒子の世界では、「物質の位置、運動量、エネルギー量、時刻」などについては、定まらない・・・つまり再現性は全くないわけでございます。このことはハイゼンベルグの不確定性原理において明確な真理になっているのでございます。また、重力の法則だって、確かにほとんどの場合、「重力の法則は成り立つ」ものの、いろいろな事実を調べると、重力の法則が正確に成り立たない例も、いろいろと報告されております。いや、重力の法則そのものが、アインシュタインの一般相対性理論と整合しないのでございます。さらに申せば、物理学の法則のほとんどは、理想状態における法則なのです。例えば熱力学の法則は、理想気体というものから生まれたものであります。そう。現実の法則とは違うものなのです。それに、そもそも物理学の法則のほとんどは、数学を基礎にして生まれたものであり、数学の「1+1=2」が現実世界で怪しいとすれば、物理学の法則も厳密にはいつでも成り立たないのは当然でございます。
 こうしてみると、数学も物理も含めて、世の中には、「間違いなく○○だ」と言うことはひとつも存在しないのでございます」

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2009年6月 8日 (月)

テレビ今昔物語⑰

引き続き、現在の大学教育への疑問を述べさせていただきたいと思います。つまり、私たちが素朴に疑問に思っていること・・・このほとんどに対して、現在の大学教育は、答えていないという事実です。そのために、私は大学教育に幻滅を感じ、自主退学をいたしました・・・ただし私の場合は、「学問は自分が自分のためにするものだ」ということに気づき、結局二年半後大学に復学し、卒業をしております。

ですが、一度自主退学した事実は間違いなのであり、当時の私の悩みも深かったわけです。

なお、「学問は自分が自分のためにするものだ」という思いは、卒業後もずっと続き、現在まで、いや現在もずっと私は独学を続けております。この独学のおかげで、私は独自の学問統一理論(=フラカン理論)を作ることができました。これにつきましては、私の著作の中に、随所に出てきますので、ご存知の方も多いのではないかと思います。

さて、話を元に戻しまして、大学教育に対する疑問点を、過去のエッセーから引用させていただきます。

「・・・・その他、根源的で大切なことなのに、東京大学に行っても分からないことは無数にございます。

たとえば・・・「言語とは何なのだろう?」・・・・「言語はどこに保存されて、人間は、どうやってそれを構成し話すのだろう?」・・・「そもそも言語とはどうやって生み出されるのだろう?」・・・・「記憶とはどこに保存され、人間はどうやって取り出すのだろう?」・・・・「一つの社会現象が世の中に起こるとはどういうことなのだろう?」・・・「社会現象はどのように連関し合っているのだろうか?」・・・これらの研究についても、学問はほとんど進歩しておりません。

一応の学問は存在します。たとえば言語学で言えば、チョムスキーの生成文法理論やクリステヴァの記号の生成論などです。

しかし、これらは、言ってみれば、幼稚園レベルのものであり、普通の人を満足させることは到底できません。

なお記憶や現象の研究についても、私の知っている限りにおいては、自分を納得させるものは全くございません。

そして実際に、もしこういう方面の研究が進めば、外国語学習や記憶術の向上などメリットは計り知れません・・・・」(以下続く)

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2009年6月 5日 (金)

テレビ今昔物語⑯

前回に引き続き、私のエッセーからの引用です・・・

「・・・・再度申し上げますが、以上述べた疑問は、ノーマルな人間であれば、誰でも真っ先に「知りたい!」と思うことなのです。

自分の死後はどうなるんだろう?・・自分も霊魂になるんだろうか?・・、できれば地球以外の生物と交流したいものだ・・・UFOって存在するんだろうか?(存在すれば、ぜひ乗ってみたいものだ)・・・自分の運命とはどういうものなんだろう?・・・宇宙はどうやって生まれたんだろう?・・・宇宙の果てはどんなものなんだろう?・・・物質を細かく探求した最後の姿、クォークまで分かっているというけれど、その先はどうなっているんだろう?

(ちなみに最後の問題については現在、素粒子を高圧で衝突させ、その結果を探求しておりますが、この方法には限界があり、細かすぎるものは、こんな態度で見つけることができないのは明らかです。水は決してザルではすくえません。つまり実験器具の精度をいかに上げようとも、その「捕捉目」よりも小さすぎるものの探求には限界があるのでございます)

・・・これらの疑問はすべて誰もがぜひとも知りたいと思うことなのであり、この気持ちに対して否定的あるいは消極的な態度を取ること、これは総合大学としては、極めて遺憾な態度と申せましょう。

「まるっきりわからないならわからないでいい」のです。でも、多少はわかるのであれば、「現段階でわかっている知識を公表し、その範囲内で学習し、積極的にナゾを探求し、努めて矛盾点を解決しようとする態度」、これこそが真の学問をする者のすべきことではないでしょうか?また、質問者の納得できる答え方をするのが、誠実な学者の態度ではないでしょうか?

たとえば、「自分の死後はどうなるんだろう?霊魂は存在するんだろうか?」という質問に対しては、「そんなものは俺は知らないよ」とか「あの世や霊魂なんて存在しないよ」は答えになっていないのであり、そんな答えでは質問者は納得しないのであります。

ところが、現状では、右記した質問に対する東京大学の答え方は、ほとんどそのようなぶっきらぼうなものであり、または誠実な解答を拒否さえしているのでございます。その点で東京大学は失格大学だと私は思うのでございます。ちなみに海外の大学では、ロシアや中国の有名大学を初め、これらの疑問について探求している大学はいろいろございます。UFOの研究は、ご存知のように石川県羽咋市が市をあげて真面目に研究をしており、国際シンポジウムなども開催されております」

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2009年6月 1日 (月)

テレビ今昔物語⑮

私は大学生当時、自分の大学に大きな不満を持っておりました。子供の頃から、「大学に入れば、宇宙や人生の神秘のようなものが、80%くらいはわかるだろう」などと思っていました。しかし現実はとんでもございませんでした。はっきり申しましょう。5%もわかりませんでした。5%も分からないのに、日々、化学式を覚えたり、英語やフランス語の単語を覚えたりするのが苦痛でした。「もっと大きな真理が知りたい。瑣末的なことはどうでもいい!」・・・私の心はいつも飢えた犬のように、こう思っておりました。その当時の心理は、今になれば、はっきりとわかります。かつてその気持ちをエッセーに書きましたので、それを以下に引用したいと思います。

「不遜な言い方かもしれませんが、我が母校東京大学は、現段階におきましては、とてもレベルが低い大学だと私は思っております。
 その理由は・・・世の中の真実や疑問にきちんと対応できていないからでございます。
 世の中には不思議なことや分からないことが無数にございます。でも、東京大学はせいぜいその半分にしか対応しようとしておりません。具体的に申せば、霊魂のこと、死後の世界のこと、テレパシーなど精神パワーに関すること、生命エネルギーのこと、運命や予言に関すること、地球以外の生物のこと、宇宙成立に関する根源的な疑問、素粒子の構造についての根本的な疑問、記憶の構造、言語の生成、現象の連関・・・こういう最も人々が関心のあることについて、ほぼ100%解答を与えないどころか、ときには、その気持ちすらなく、また、現実にこれらを探求しようとする学問もほとんど存在しないことでございます。そう。有り体に言えば、拒否しているのでございます。またそういう学問の存在を否定さえしているのでございます」

以下は、次回に述べたいと思います。

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